多摩川河川敷にて【前編】

今日は朝から暖かい1日でした。日中は20度近くまで上がったそうです。しかし、明日からは再び寒さが戻ってきます。「暑さ寒さも彼岸まで」の諺にもあるので、春の訪れはまだまだです。

2月22日には京王線で「高尾山冬そば号」が運転されたので、2回に分けて報告します。

運転当日、9時30分ごろには自宅を出て自転車で撮影地に向かいました。20分余りで到着、三脚とカメラをセットしました。

 


※7000系準特急 高尾山口行き/京王線中河原~聖蹟桜ヶ丘間にて

最初に通過したのは7000系準特急です。車番から元8両編成で、2010年の組み替え編成であることが分かります。2010年当時、10両編成の増加により、8両編成5本を使用して6+4両編成1本と10両編成3本に組み替えたのです。

 


※7000系各停 高尾山口行き/京王線中河原~聖蹟桜ヶ丘間にて

2番手は7000系各停です。車番から8両編成で、元は30年前になる1984年の登場時5両だったのが、後年中間車を増結して6→8両編成になりました。

 


※8000系特急 京王八王子行き/京王線中河原~聖蹟桜ヶ丘間にて

3番手は8000系特急です。1992年に京王初のVVVF車として登場し、20年以上経った今でも急行系列車を中心に幅広く活躍しています。

 


※7000系各停 京王八王子行き/京王線中河原~聖蹟桜ヶ丘間にて

続いて7000系の各停が来ました。車番から、1984年に登場した初期車で、後年に6両編成化されました。第6編成以降が8両になっても、第1~5編成は6両のまま残り、京王線長編成化による10両編成化は4両編成を製造してラッシュ時に増結する手法が取られました。

撮影地の混雑を懸念して早目に出ましたが、思ったほど人が多くなかったのが幸いでした。しかし、到着してから目的の「高尾山冬そば号」が来るまで45分も時間があるため、しばらくは同じような写真を量産することになりました。

雪煙を巻き上げて疾走する「北斗星1号」

今日は朝から雨の1日でした。南からの風もあり、気温は高めでした。カメラのキタムラから連絡があり、3月2日からの北海道遠征を前にEOS70D2台体制になることが確定しました。

無線LAN機能が決め手だったのでしょう。すでにEOS7Dは中古として売却しました。

 


※寝台特急「北斗星1号」/千歳線西の里信号場にて・2000年3月11日撮影

3月2日からの北海道遠征を前に紹介するのは、2000年3月11日に撮影した寝台特急「北斗星1号」(当時)です。

前年の7月に寝台特急「カシオペア」がデビューし、3往復あった寝台特急「北斗星」は季節列車だった3・4号が臨時格下げで定期2往復になりました。

ただし、私が寝台列車の撮影を始めたのは1998年の初夏からで、寝台特急「出雲」1往復と「瀬戸」の電車化を控え、東海道本線を中心に攻めては、山陰まで遠征もしました。

その後は全ての定期夜行列車を撮影しよう!と写欲が湧き、ネットで某サイトを見てからは北海道でのDD51重連の写真に魅せられ、自分も迫力ある写真を撮りたいと思うようになりました。

寝台特急「カシオペア」がデビューし、最初の冬となった訳ですが、磐越西線や上越線等との兼ね合いで3月となりました。東北新幹線がまだ盛岡終着だったので、「やまびこ25号」→「はつかり25号」→「はまなす」を乗り継ぎ、12時間かかって札幌には早朝到着。

ロッテリアで朝食後は電車で上野幌へ向かい、バスに乗って「椴山」バス停で下車して撮影地となる西の里信号場へ向かいました。

この日は土曜日で、寝台特急「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」「北斗星」の3列車が揃って札幌に集まります。

当時のダイヤでは「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」「北斗星1号」が10~15分おきに続行しており、そのアンカーが「北斗星1号」でした。

前2本で雪煙を巻き上げて疾走する写真を撮れたのですから、この後に来る「北斗星1号」もきっと同様の写真が撮れるぞ…!とそう確信しました。

そして「北斗星1号」の通過時刻が迫ってきました。来たぞ…!と焦る気持ちを抑えながら、シャッターボタンを押しました。

当時はフィルムだったので、36枚撮りを使用していたとはいえ、残数を気にしながらの撮影でした。後日、現像仕上がりを確認したら、ほぼイメージ通りに撮れていました。

初めての冬の北海道での寝台列車撮影。フィルム時代は、翌2001年は2月と12月、2003年2月にも撮影していますが、いずれも札幌近郊での電化区間です。

当時、時刻表を見て、ダイヤから自分の様な徒歩鉄には胆振地方での非電化区間での撮影はできないと思っていましたから、札幌近郊ばかり撮っていた気がします。

この写真を撮ってから14年後の今日、某温泉に泊まることで、ようやく非電化区間での撮影願望が叶うことになります。北海道新幹線開通までの残された日々、非電化区間でも積極的に撮っておこうと思う今日この頃です。

E6系グリーン車

今日は日中、暖かい1日でした。明日から雨の予報ですので、雪解けは進むことでしょう。

3月2~6日の避花粉を兼ねた北海道遠征は、3月2~4日が胆振地方中心で、4日は札幌へ移動して最終日までは札幌周辺での撮影となります。

今年はまだ花粉症の症状がでていませんが、発症しないままの避花粉となりそうです。

 


※グリーン車

帰りの「スーパーこまち12号」では、今回もグリーン車利用でした。昨夏の東北遠征でE6系に初乗車して以来、3回目ですが3回連続でのグリーン車利用と相成りました。

 


※グリーン車

グリーン車の定員は22名で、E3系の23名に対して1名減となっています。

1-6番のうち、1-5番が2-2列に対し、6番は1名掛けとなっています。このうち6D席は車いす対応ですが、6A席は完全な1名席です。

よく見ると、肘掛が薄いですね。車体幅が在来線規格のため、通路幅確保のために致し方なかったでしょう。山形新幹線400系の時は2-1列で、肘掛が厚かった気がしますが。ただし、400系のグリーン車は1999年12月に1度だけしか乗っていません。

 


※グリーン車

今回の指定席です。この席は昨年10月にも指定を取っており、2度目です。隣席に気兼ねなく行動できるのがよいですね。トイレへ行く時もそうですが(^^ゞ

14時10分、定刻どおりに秋田駅を発車しました。途中の仙台まではほぼ順調でしたが、強風の影響で仙台駅で抑止を食らいました。

1時間以上遅れて仙台駅を発車した後、途中の郡山では通過線で一旦停止して「やまびこ」を先に通したりでダイヤが乱れまくりでした。

大宮で2度目の抑止、結局は2時間以上遅れて東京に到着しました。新宿に到着後はみどりの窓口で特急料金分の払い戻し精算(新幹線や特急、急行が2時間以上遅れた場合は特急・急行料金の払い戻しを受けることができるが、寝台・グリーン料金は対象にならない)をした後に帰宅の道につきました。

秋田遠征の報告はこれで完結です。3月2~6日の北海道遠征時は現地から報告します。

E6系「スーパーこまち12号」

来週の避花粉を兼ねた北海道遠征で、初日の予定を若干変更し、「スーパー北斗9号」の乗車区間を当初の函館→伊達紋別間から函館→洞爺間に短縮しました。

えきねっと予約もこれに合わせて変更しました。これは、初日の「トワイライトエクスプレス」を有珠にて撮影するためです。

秋田に戻った後は喫茶店にて遅い昼食にしました。昼食後、コインロッカーから荷物を取り出し、13時50分過ぎには新幹線ホームに入りました。

 


※E6系「スーパーこまち12号」/秋田新幹線秋田駅にて

帰りはE6系「スーパーこまち12号」です。すでに1往復を除いて秋田新幹線はE6系に置き換えられました。E3系で残った1往復は3月14日までで、翌日からは全てE6系に統一されます。

車内に荷物を置いた後はホーム上で撮影しました。

 


※E6系「スーパーこまち12号」/秋田新幹線秋田駅にて

もう1つ忘れてはいけないのが、「スーパーこまち」表示です。3月改正で秋田新幹線がE6系に統一されるのと同時に愛称は「こまち」に統一されます。

「スーパーこまち」の愛称はたった1年で消えることになります。これは車両置き換えと最高時速引き上げで従来車と愛称の区別が必要だったためです。

「こまち」と「スーパーこまち」の違いはもはや、愛称表示でしか分かりません。3月改正で“スーパー”が消えるのですから、記録として撮影しておきました。

嗚呼、無情の区間運休…

3月恒例の北海道行きが来週に迫ってきました。気になる北海道の天気で、来週頭は雪が降るかは微妙な感じです。。。残雪の中を走る写真が撮れれば、いうことなしですが。室蘭あたりは雪が少ないので。

秋田で羽越線に乗り換え、新屋で下車しました。目指すは国道7号線のオーバークロスです。駅からは線路に並行した道がないので、辿りつくのに苦労しました。25分ぐらいかかってやっと到着しましたが…!!

歩道が片側にしかなく、交通量も多いので撮影は危険と判断し、踏切近くで撮ることにしました。ここなら安全に撮影できます。三脚とカメラをセットし、新潟からの「いなほ1号」を待ちました。

 


※701系普通列車/羽越本線新屋~桂根間にて

12時を過ぎても「いなほ1号」が来ません…。強風の影響で遅れている様で、帰りの新幹線もあるのでぎりぎりまで待つことにしました。

30分待っても来ず、撮れたのは701系普通列車のみでした。12時40分ごろに撤収し、駅に戻ると「いなほ1号」は酒田以北が区間運休になったとの情報がありました。

結局は「いなほ1号」を撮ることができず、前日の5号のみでした。

13時14分の電車に乗り、秋田へ戻りました。

初ネブトクワガタ

今日は高校の先輩からネブトクワガタのペアをいただきました。静岡県の浜松まで採集に行ったそうです。ただし、時期から材割採集にて得られたものなので、当然ながら越冬中です。

 


※クワガタ入り容器

クワガタは雌雄別にこのような容器に入っています。

 


※ネブトクワガタ

撮影のためにペアを取り出しました。取り出してみて、かなり小さいことが分かります。最大でも25~30mmにしかならないのですから、無理もありません。

 


※ネブトクワガタ♂

撮影用に取り出した♂です。採集データによると体長は17.2mmです。和名の“ネブト”にあるとおり、大顎の付け根が太くなっています。

 


※ネブトクワガタ♀

こちらは♀です。写真では分かりにくいですが、♀も大顎が太いです。大顎の形はマルバネクワガタの♀に近い方で、材産みではないことが容易に想像できます。

ネブトクワガタのブリードは難しい方ですが、他のクワガタ幼虫に使ったマットのカスを再利用できれば、ブリードは容易でしょう。

ブリードできるのは5月の連休頃からとなりますので、あと2か月間はじっくり寝かせておくことにしましょう。

15・16日の秋田遠征報告は明日からの再開とさせていただきますので、ご了承ください。

【速報】9000系「高尾山冬そば号」

今年も1月18日から3月31日まで高尾山の冬そばキャンペーンが実施され、その一環として今日は臨時急行「高尾山冬そば号」が運転されました。

都営新宿線の大島駅から高尾山口駅までの直通運転で、使用車種は9000系です。

光線状態を勘案して多摩川河川敷で撮ることにし、9時30分ごろには自宅を出て自転車で向かいました。20数分で撮影地に到着、三脚とカメラをセットして待ちました。

何本かの電車を撮影しながら、「高尾山冬そば号」を待ちました。

 


※9000系急行「高尾山冬そば号」/京王線中河原~聖蹟桜ヶ丘間にて

10時40分を少し過ぎたころ、予定より数分遅れて通過しました。反対側には新宿行きの上り列車が通過していましたが、被らなかっただけマシとしましょう。

ファンの数が意外にも少なかったのは、橋脚の耐震補強工事も行われている影響もあるからなのでしょう。

昨年は運転日に秋田遠征していましたので、今年は撮れてよかったです。

撮影後は聖蹟桜ヶ丘駅にある京王ショッピングセンター内のビックカメラに寄った後、帰宅しました。

E3系「こまち28号」

明日は京王線で「高尾冬そば」臨時列車が運転されます。光線状態から、中河原~聖蹟桜ヶ丘間の多摩川にファンが集まりそうです。

京王線は東西に走る路線のため、午前中の下り列車を順光で撮影するのは困難で、線路が南北を向く多摩川付近が唯一の順光ポイントだからです。

 


※E3系「こまち28号」/奥羽本線大張野~羽後境間にて

翌朝6時頃に目覚め、7時前には朝食にしました。7時30分にはホテルをチェックアウトし、送迎バスで秋田駅へ向かいました。

ターゲットは1往復のみとなったE3系「こまち」です。E3系「こまち」は28号と45号の1往復だけとなり、残りはE6系に置き換えられました。

28号→45号と秋田を起点に1往復するのみです。45号は東京17時56分発なので走行写真の撮影ができません。

8時11分発の普通列車で大張野へ行き、踏切を目指して歩きました。約15分ほどで到着しました。ダイヤ改正まであと1か月を切ったにも関わらず、踏切には誰一人、撮影者がいませんでした。おかげで、構図を決めるのに制約はなく、のびのびと撮影できるものです。

三脚とカメラをセットし、構図を決めてスタンバイしました。やがて踏切が鳴動し、しばらくしてE3系「こまち28号」がやって来ました。

焦る気持ちを抑えながら、シャッターボタンを押しました。撮影可能なE3系「こまち」はこの28号のみです。

1997年3月22日の秋田新幹線開業日に親戚の伯父さんに田沢湖まで連れて行って貰い、仙岩峠にて撮影したのが、E3系「こまち」の初撮影でした。

あれから17年、秋田県内で初撮影し、秋田県内で最後の撮影—-本当に皮肉としかいいようがありません。

来る3月15日のダイヤ改正でE6系に統一され、E3系は秋田新幹線から撤退します。山形新幹線では引き続きE3系を見ることができますが、新幹線車両の平均寿命からしてあと10年ぐらいでしょう。

ほぼ17年間、東京と秋田を結んだE3系「こまち」を最後に雪景色の中で撮影できてよかったです。

撮影後は羽越本線へ移動するため、駅へ移動し、秋田行きの電車に乗りました。

羽越本線にて

羽越線で秋田から20分ほどで岩城みなとに到着しました。ここで特急「いなほ」を撮影します。

駅を下車し、10分たらずで撮影地となる跨線橋に着きました。日本海バックに撮影ができます。私以外、誰も撮影者がいなかったので、自由に場所を決めることができます。

三脚とカメラをセットし、スタンバイしました。

 


※EF510貨物列車/羽越本線羽後亀田~岩城みなと間にて

しばらくしてEF510牽引の貨物列車が来ました。貨物時刻表を持っていないので、列車番号は分かりませんが、特急「いなほ5号」の前哨戦として撮影しました。

寝台特急は先が見えてきていますし、これからは貨物列車も撮影のターゲットにするのもよさそうです。JR貨物が新しい機関車を新製する一方、国鉄型の淘汰が進んでいる訳ですから、この機会に貨物時刻表を買うのも手かも知れませんね。

JR東日本から譲渡された500番台には残念ながら出会えませんでしたが、次回の楽しみに取っておくこととしましょう。「北斗星」「カシオペア」が北海道新幹線開通で廃止されると、田端に残った6両もJR貨物へ譲渡されるのは確実ですから。

 


※485系特急「いなほ5号」/羽越本線羽後亀田~岩城みなと間にて

しばらくして、もう一人の撮影者が来ました。最終的には私も含めて2名となりました。“葬式鉄”が増えるかと思っていましたが、意外にも垢抜けてしまいました。

15時51分頃、新潟からの特急「いなほ5号」が来ました。焦る気持ちを落ち着けながら、シャッターボタンを押すポイントまで引きつけてボタンを押しました。

5号は秋田到着後、14号になって新潟へ折り返します。海からの風が冷たく寒いので、一旦駅へ戻ることにしました。

16時40分頃、同じ跨線橋へ行き、日本海が見える方とは反対側で折り返しの「いなほ14号」を待ちました。しかし、列車が遅れているうえに日が落ちかかって暗くなったので撮影は断念しました。

駅に戻り、しばらくすると定刻より15分程度遅れて「いなほ14号」が通過しました。

秋田行きも同様に遅れ、電車に乗って秋田駅まで戻り、宿泊予約したホテルへ向けて歩きました。

E751系特急「つがる4号」

来る3月3~7日の5連休が取得できました。前後の土日と合わせて9連休です。これで3月2~6日の4泊5日で北海道へ行けるのは確定的となりました。

 


※E751系特急「つがる4号」/奥羽本線秋田駅にて

11時21分、特急「つがる4号」は定刻通りに大館駅を発車しました。

雪国は雪対策がなされているため、首都圏での私鉄のノロノロ運転と違い、頼もしい走りっぷりです。鷹ノ巣、二ツ井、と停車し、東能代駅前で一旦停止のち数分遅れて到着しました。

ところが…!いつまでたっても発車しません。ホームに下りて前方を見ると信号が赤のままです。

南能代信号場で雪によるポイント故障のため、除雪作業のために抑止されたそうです。駅間で止められるよりはマシでしたが…。

1時間以上遅れて東能代駅を発車しました。南能代信号場では保線作業員の姿も見えました。

森岳、八郎潟に停車して秋田には1時間10分以上遅れて14時過ぎに到着しました。

一旦改札を出て、岩城みなとまでのきっぷを買ってから羽越線に乗り換えました。