蓄電池試験車「NE Train スマート電池くん」

今日は午後、秋葉原にある「書泉グランデ」へ行ってきました。ある本を探すためで、見つけることができました。

その一つがネコムックの「JNR EXPRESS」で、昭和50年代を駆け抜けた国鉄特急、急行がほぼ網羅され、編成中の車番記録もあります。

この本を探していたのは、ビュフェ付の13両編成東北急行を作るためで、サハシ451または455が組み込まれた基本編成の車番を特定するためです。

1977年9月のサハシ脱車まで、仙台にはサハシ455が6両、サハシ451が9両配置されており、2010年に九州用を作った際にサハシ455があるのですから、バリエーション展開でサハシ451を作ってもよさそうだな…と判断しました。

模型で特定番号化が著しい昨今、資料としての価値は十分にありますね。特に交直流急行電車は交流電化区間の周波数(西日本60Hz/東日本50Hz)と勾配抑速ブレーキの有無で7車種もあったのです。

 


※蓄電池試験車「NE Train スマート電池くん」/大宮工場にて

大宮工場一般公開の続きで、今日紹介するのは蓄電池試験車「NE Train スマート電池くん」です。今春に烏山線でデビューした「ACCUM」のご先祖にあたります。

すなわち、この車両での試験結果を元に実用化したのが「ACCUM」です。

 


※蓄電池試験車「NE Train スマート電池くん」/大宮工場にて

よく見ると、顔は同じですが、前後で帯の色が異なっています。

電化区間では架線集電で自走しながらバッテリーに充電し、非電化区間ではバッテリーの電力で走ります。ディーゼルカーとは違い、排ガスを出さないのでクリーンなのですが、フル充電で走れる距離が短いのが欠点です。烏山線は「ACCUM」の導入先駆としてぴったりだったのでしょう。

2016年春にデビューするクルーズトレインはEDC方式ですから、根本的には違います。

まだまだクリアする課題は多そうですが、今後も改造を重ねて試験に供されることはあるのでしょうか?

ノコギリ&ヒラタ2014年初確認

今日は真夏日で日中は汗ばむ陽気でしたので、夜間樹液採集をしました。この暑さだと、そろそろノコギリクワガタが発生してもおかしくはなかったです。

 


※ノコギリクワガタ♂

まずはノコギリクワガタの♂を発見しました。小歯型でしたが、今年初確認です。

ただ、70mmオーバーの採集を目指しているため、今年はブリード用以外、60mm以下はリリースすることにします。足切りサイズを設定することで、乱獲を防ぐことを兼ねています。

昨シーズンは67.2mmが最高でしたが、今シーズンは??65mm以上ははっきりいって採集は難しいといわざるを得ません。

まだ♀の発生を確認していないため、採集せず撮影だけにしておきました。

 


※コクワガタ♂

第二のポイントではコクワガタのみでした。しかし、昨シーズンはこのポイントで60mmオーバーを採集しているので、今年も期待したいところです。

65mm以上となると、自己採集ギネス更新は難しくなってきます。なぜなら、65mmを超えると個体数は激減し、70mm以上は非常に稀だからです。

 


※ヒラタクワガタ♂

第三のポイントでは、新しく樹液が出始めたばかりで、これからが期待できるポイントですが。。。

なんと!!まさかヒラタクワガタを捕ってしまうとは思ってもいませんでした。光を当てると逃げるどころか、樹液に夢中で逃げません。これはヒラタクワガタが食べ物の誘惑に弱いことを示しています。

撮影後に採集し、網の中に入った個体を見ると…。なんと!!ヒラタクワガタでした。

 


※ヒラタクワガタ♂

持ち帰って撮影しました。片側の触角と中脚の符節が取れ、顎がすり減っていることから、越冬固体であることがわかります。

ヒラタクワガタは年に1、2頭しか捕れないうえ、羽化新成虫の♀のお婿さんとして採集しました。もしかしてクワガタ版年の差婚??( ´艸`)

年の差婚に憧れるのは自分もそうですが(笑。どれくらい越冬したかは分かりませんが、羽化新成虫の♀が成熟する前にこの♂が先に逝かないことを祈るだけです。

ヒラタクワガタ12年ぶりの再発見から早10年です。まさか再発見から丁度10年後のほぼ同じ日に新ポイントで採集するとは思ってもいませんでした。

22年前の1992年8月、ヒラタクワガタを最初に発見した高校の後輩には感謝ですね。彼が捕った1匹から全てが始まり、12年後の再発見につながったのです。12年間再発見できなかったのは、私も10年間のブランク期間があったからで、近隣地区での採集情報からきっといる!!と信じたからでしょう。

新ポイントでクワガタもぼちぼち見られ始めたので、今年も期待できそうです。

寝台特急「トワイライトエクスプレス」遂に終焉へ…

「トワイライトエクスプレス」引退の公式発表&報道から一夜明け、少しは落ちついてきました。1年前倒しでの公式発表はあまりにも寝耳に水でした。

3月に北海道へ避花粉を兼ねて遠征した時はまだ公式には発表されていませんでしたが、非電化区間で寝台列車を撮影したいということもあり、引退前に撮れたことはよかったともいえましょう。

そこで、引退発表を受け、過去に撮った写真のうち、本州内のものを2点ピックアップして紹介したいと思います。

 


※寝台特急「トワイライトエクスプレス」/信越本線青海川~鯨波間にて・2003年7月5日撮影

過去の写真を調べたところ、本州内で撮影した写真は北海道内に比べると少ないです。これは大阪から日本海側を経由するためということもありますが、首都圏から一番近くで乗れるのは長岡からなのと、SLのイベント運転で東日本各地を回っているため、どうしても撮影に行く機会が限られてしまいます。

「トワイライトエクスプレス」の列車名由来は、日本海に沈む夕日からだそうです。ヘッドマークは「日本海」に類似していますが、地色がピンクなのも頷けます。

日本海に沈む夕日バックに撮りたい…夏場限定ではありますが、時は2003年7月5日。翌日の白新・羽越本線へC57牽引の団臨撮影で新潟遠征へ行きましたが、前日までの予報で梅雨の晴れ間が出るとのことで、直接新潟へ行かず、鯨波に寄り道を計画しました。

通過時刻は18時30分前後で、日没時刻ぎりぎりです。夕日に輝く海を強調するため、露出をアンダー目に調整しました。列車はシルエットになりますが、暗くなりすぎない様、露出の調整はかなり難しかったです。

いよいよ通過時刻が迫ってきました。編成で写す訳ではないので、シャッターチャンスは一瞬です。固唾を飲んで撮影した一コマです。当時はフィルムだったので、現像仕上がりまで結果が確認できませんでしたが、数日後に確認すると、ほぼ思い通りのイメージで撮れ、「やった!」と喜んだのを覚えています。

 


※寝台特急「トワイライトエクスプレス」/東海道本線高槻~山崎間にて/2008年2月29日撮影

こちらはJR西日本のお膝元である京阪神での撮影です。大阪始発ということもあり、本州側では大阪口での撮影がほとんどです。

しかし、本州側でしかも大阪口での撮影は2000年10月が初めてで、その次は2001年4月ですからわずか3回しか「トワイライトエクスプレス」を撮影していません。

撮影したのは「山崎の大カーブ」で、サントリーの山崎工場が近くにあり有名な撮影地でした。現在は接触事故防止のため、線路際に高いフェンスが設置されたので撮影は不可能です。この時はまだフェンスが設置されていなかったので、貴重な一コマになりました。

「トワイライトエクスプレス」の廃止まであと9か月となりましたが、残されたわずかな時間で限られた機会を活用して本州内でも撮影したいところですね。あと何回撮影できるでしょうか。

4度目の挑戦で…

今日、遂に!!遂に!!!JR西日本から「トワイライトエクスプレス」が来春で運行終了との公式発表があったと報じられました。

遂にこの時が来たか…という感じです。本当に本当に残念でなりません・°・(ノД`)・°・

理由は車両老朽化だそうですが、同時に北陸新幹線が金沢延伸し、並行在来線が経営分離されるため、第三セクター会社に支払う線路使用料=通行料が発生することも一因でしょう。

「北斗星」「カシオペア」は「一定の需要がある」として当面存続が決まっていますが、いつまで残れるかは分かりません。

社員食堂にて昼食を食べた後は性懲りもなく、流し撮り狙いで再挑戦しました。しかし、結果は思わしくありませんでした。もう、あと1回しかありません。

 


※E231系普通列車885M/高崎線大宮~宮原間にて

SLが発車する直前、E231系の普通列車が通過したので、撮影しました。普段撮れない構図だけに、一般公開時限定ですね。

 

C12試乗
※C12試乗/大宮工場にて

もう、こうなったら流しはやめて、広角で撮ってみよう…完全に開き直りですね(^_^;

野球でいえば、最終回の守備だ、しまっていこー!という気持ちで臨みました。SLの発車時刻になりました。さあ、いよいよだぞ…。

あれ??煙が全然見えません。SLが姿を現しましたが、最終回は煙が薄いままで通過して行きました。14時を回ったので、気温がかなり上がったのでしょう。

撮影後は工場内を見回ることにしました。

2度目の挑戦

今年も8月の旧盆期間中、青森遠征時の宿を取ることができました。今年の青森遠征は7月に新潟合宿が入った関係で1回となりました。ですが、もう武尊は卒業と決めていたので、マシですが。

武尊は思ったほどクワガタが採れず、先生達はカミキリを数多く採集していても不公平さもあったからかも知れません。私がオオクワガタを採りたいという目標も考慮に入れたのかも知れませんが。

新潟では頸城地方や入広瀬等の魚沼地方でオオクワガタが採れていますが、今回の合宿地は両方の地方に挟まれたあたりです。そこにもいるのでしょうか?もしかしたら薄いところ??だとしたらオオクワガタ採集は非常に難しいんじゃ・・・(@_@;

 


※C12試乗/大宮工場にて

2度目の挑戦は12時45分発です。今度は流し撮りをやってみよう!ということで、再度撮影に臨みました。

シャッタースピードを1/125秒にし、SL発車を待ちました。

さあ来たぞ!とばかりにカメラを横に振って撮影しました。結果は…あまり止め撮りと変わりませんでした。。。撃沈!!

 


※C12試乗/大宮工場にて

後追いで撮影しました。こちらは普通に撮れましたが、SLのスピードが思ったほど遅かったからかも知れません。

すでに13時近いのでお腹が空きました。食事できるところを探し、昼食を食べることにしました。

JR貨物大宮車両所

敷地内にはJR貨物の大宮車両所も同居しています。旅客会社側(JR東日本)の機関車検修は秋田でやっていますが、大宮での機関車検修はSLと貨物会社のみです。

C61はつい最近まで検査入場していましたが、イベントと入れ違いに高崎へ帰ってしまいました。

 


※EH200-10/JR貨物大宮車両所にて

まず最初に目に入ったのはEH200-10です。老朽化したEF64の置き換え用として製造された2車体連結のH級電気機関車です。H級とすることにより、これ1台でEF64を2両淘汰できるうえ、重連運用を解消して旅客会社に支払う線路使用料を削減できるのです。

丁度、検査入場していたので、工場内での展示対象となっていました。

 


※EF65-2083/JR貨物大宮車両所にて

2番目はEF65-2083号機です。車体がジャッキアップされていました。

国土交通省の「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」により、100km/hを超える運転を行う際に新たな保安措置(運転状況記録装置)の装備が義務つけられ、貨物会社の機関車にはこれがないため、元車番に1000をプラスして2000番台となりました。最高時速が100km/h以下に抑えられましたが、将来のEF210置き換えを見計らっての措置なのでしょう。

 


※EH500-37/JR貨物大宮車両所にて

3番目はEH500-37号機です。首都圏~北海道のスルー運転を目指して製造されたH級電気機関車です。ED75及びED79の重連運用解消と車両数の削減により、旅客会社及び第三セクター会社に支払う線路使用料削減も見計らっています。

ですが、北海道新幹線が開通すると、共用区間の架線電圧変更により、青函トンネルを通れなくなるので、運用範囲は五稜郭までから青森までに縮小されます。

2車体は完全に分離されており、内部の危機は全て取り外されていました。重要部検査か全検のどちらかでしょう。

 


DE10-1592/JR貨物大宮車両所にて

〆はDE10-1582です。こちらも検査入場中で、台車とは分離されています。

車体塗装から更新機と一目でわかります。しかし、更新工事を受けたとはいえ、最終製造から35年以上が経過しています。

早急に代替機が望まれますが、いつまで活躍できるでしょうか。機会を見て撮影しておきたいものです。

一通り見終えた後は、再びC12撮影に行きました。

C12試乗-1

今回の「大宮ふれあいフェスタ2014」一番の目玉はなんといっても、C12が旧客を牽引して試運転線を走行することでしょう。

撮影できたのは12時以降からで、展示機関車を撮影した後、しばらく待ちました。

 


※C12試乗/大宮工場にて

12時過ぎ、C12が旧客を牽引して発車しました。この時期にしては珍しく白煙です。気温は高かったのですが、湿度が低かったからでしょう。運転士や乗客も一斉に手を振っていました。

C12と旧客の組み合わせは北海道でのNHKロケ時に見ることができなかったので、16年ぶりの悲願となりました。

次の列車まで時間があるので、工場内をしばらく見ることにしました。

大宮工場一般公開

今日は何年かぶりに大宮工場一般公開へ行ってきました。真岡のC12が旧客を牽引して試運転線を走るためです。

 


※機関車展示/大宮工場にて

今年は大宮工場が操業して120年になるので、JR東日本と貨物がさいたま市との合同開催で「大宮ふれあいフェスタ2014」となりました。

屋外での機関車展示場では右からEH200、EF64、HD300です。

貨物会社と旅客会社の機関車が一緒に展示されているのも、両社が同居しているからであり、合同開催だからです。

JR貨物が老朽化した入れ換え用DE10の置き換えに新造したHD300の実車を見るのは初めてです。

 


※機関車展示/大宮工場にて

反対側からの撮影です。よく見ると…

 


※EF64-1001「あけぼの」/大宮工場にて

中央のEF64-1001に「あけぼの」のヘッドマークが装着されているではありませんか??

このEF64-1001は高崎配置で、「あけぼの」牽引は長岡配置車が担当していました。この1001号機はイベント列車牽引で見ることがほとんどなので、「あけぼの」を牽引する機会はほとんどなかった様です。

結構色々撮影したので、数日かけて紹介していきます。

懐かしの0系

今日はまずまずの天気でしたが、雷雨を降らせた寒気がまだ抜けきらず、気温は低いままでした。まだ夜間樹液採集は再開できません。

明日は大宮工場一般公開です。真岡からC12を借りて工場内の試運転線を旧客牽引で走るので楽しみです。試運転線は鉄道博物館まで伸びていますが、煙を出すポイントは限られます。

今回は鉄道博物館には行きませんが、今日も未公開写真を紹介します。

 


※0系新幹線/鉄道博物館にて

今日紹介するのは、いわずと知れた0系新幹線です。今年は0系新幹線の生誕50年になります。

ヒストリーゾーンの一角には0系新幹線が展示されています。展示されているのは、「21-2」号車で、今から50年前に製造された新大阪方の先頭車です。0系は全車電動車だったので、この先頭車は制御電動車と言った方が正しいでしょう。

東海道新幹線開通時は全て大窓で作られたので、50年後の今日も残っているのは奇跡に近いです。

廃車後は長らく大阪にある現在のJR西日本研修センターで研修用に使われていたのです。新人運転士養成のためです。JR西日本から無償譲渡のうえ、鉄道博物館で展示されています。

車内に入ると、転換クロスシートはそのままで、50年前の新幹線開通時を後世に伝えてくれています。しかし、写真を撮り忘れてしまいました…。

 


※0系「こだま(号数不明)」/山陽新幹線小倉駅にて・2008年11月3日撮影

0系を現役時代最後に撮影したのは、2008年11月3日です。3連休を利用して九州へブルートレイン最後の撮影に行った帰り、小倉で新幹線乗り換え待ち時間中に撮影しました。

この年の年末で引退を記念して、旧塗装に復元された編成が最後まで残ったので、ラッキーでした。

やはり0系は白と青ですね!!子供の頃は憧れの的で、下関へ行った時は京都から各駅停車の「ひかり」こと「ひだま」で7時間かかったのも思い出です。

本当はブルートレインにも乗ってみたかったですけどね。ブルートレインの特急料金+寝台料金と新幹線の特急料金はそんなに大差はなかった筈ですけどね。ブルートレインだと高いからダメだと言われたけど、それが余計にブルートレインへの憧れを強くしてしまい、今の様に積極的に撮ったり、模型でのコレクションにもつながっています。ただし、模型での寝台列車コレクションは「北斗星」等の北行きが中心です。

マイクロエースから0系の16両「ひかり」編成の製品化が発表されているので、思い出の一品としてもよさそうですね。

1999年夏に静岡県へ0系の撮影に行ってますので、機会を見て紹介します。

懐かしの上野駅

今日は寒気が入った影響で積乱雲が発生し、日中は雷雨が降ったりもしました。夕方には天気が回復しましたが、気温は低いままなので、夜間樹液採集はお休みです。

雷といえば、こわいものの代表の一つで、地震・火事・雷・おやじとはいったものです。

今日でオコジロウくんとオコミちゃんの結婚式から2か月ということもあり、鉄道博物館で撮影した写真の一部を紹介します。

 


※181系特急「とき」/鉄道博物館にて

オコジロウくんとオコミちゃんの結婚式があった転車台は「ヒストリーゾーン」内にあります。その一角ではかつての上野駅の一部が再現されています。結婚式が終了した後に撮影しました。

まずは181系の特急「とき」です。特急「とき」は上野から新潟まで結んでいた上越線特急で、現在は上越新幹線の列車名になっています。

一時期、新幹線の列車名からも消えていましたが、「あさひ」と「あさま」が紛らわしいということで、2002年の12月に「あさひ」を改称する形で復活しました。やはり、新潟の人にとっては「とき」の方が親しみやすかったのでしょう。

同区間を結んでいた急行「佐渡」の一部を吸収して14往復の大世帯にまで成長しましたが、冬の豪雪で故障が相次いで183系1000番台も投入されましたが、ファンにとっては181系の方が人気あったのでしょう。

 


※485系特急「ひばり」/鉄道博物館にて

こちらは同じボンネットでも交直両用の485系です。485系でも初期グループに当たります。

このボンネットクハは、当時東日本では仙台に配置され、「ひばり」「あいづ」「ひたち」に運用され、運用の都合で折り返し時に別列車になることがあったため、当時は係員がアクリルの愛称板を交換する場面がみられました。よく見ると、その交換光景まで再現され、心憎い演出ですね。

また、仙台には50Hz用の483系も配置されていましたが、JR化後の1990年に651系投入で全廃されています。

 


※455系急行/鉄道博物館にて

485系特急「ひばり」とホームを挟んで455系が展示されています。交直両用の急行形電車で、東北地方では50Hz用の451・453・455系が活躍していました。少数ながら50/60Hz両用の3電源式457系も混用されていました。

列車番号から奥羽線直通だった急行「ざおう」でしょうか?急行「まつしま」「ばんだい」「いわて」「ざおう」「あづま」で運用され、郡山や福島で分割・併合する等、実に多彩でした。

特急が停車しない中小都市に停車して特急を補完しながら速達サービスを提供しましたが、当時の特急は停車駅が少なく、まさに“特別”急行でした。

現在、模型で当時の東北急行再現を目論んでおり、ビュフェなしの12両編成とビュフェ組み込みの13両編成を作ろうと考えていますが、完成はいつになるのやら…再塗装失敗続きですから。

東北・上越新幹線が開通する前の30年以上前はこのような光景が繰り広げられていたのですから、鉄道の発展の歴史を伝えてくれる貴重な資料といえなくもありません。

東北・上越新幹線が開通した頃、私はまだ小学生でしたので。

明後日の「大宮ふれあいフェスタ2014」でC12が走る試運転線は鉄道博物館付近まで伸びています。ここ鉄道博物館でも試運転線を走るC12を見に来る人たちでにぎわうことでしょう。