20系「あけぼの」

今日でGW連休は終わり、明日から仕事です。今年は飛び石型のために遠出はせず、関東近辺のみでした。

3月改正で定期運行を終えた寝台特急「あけぼの」が臨時列車として運転されましたが、上野口ではあまり撮影していなかったので、いい機会だったのかも知れません。

もう1か月半も前になりますが、3月22日にオコジロウくんとオコミちゃんの結婚式で鉄道博物館に行った時、一部の展示車両を撮影しています。今回は寝台特急「あけぼの」つながりで、ナハネフ22の写真を紹介します。

 


※ナハネフ22-1/鉄道博物館にて

初代ブルートレインと呼ばれた20系客車の緩急車で、丸妻形の外観が特徴です。現役時代は機関車の次位か最後尾に連結されていました。

3月に初めて行った時、テールサインが「あけぼの」になっていました。後にfacebook内で聞いた話によると、定期的に換えているそうです。

そういえば、「あけぼの」が20系最後の定期特急で、1980年には24系に置き換えられました。

 


※ナハネフ22車内/鉄道博物館にて

車内には入ることができませんが、窓越しに見ることはできます。

昔はB寝台車は3段が当たり前で、人形を寝かせてあるとはいえ、天地方向が狭いことが分かります。さらに寝台幅も52cmで、後に登場した14系や583系と比べると寝返りを打つことさえできません。当時はただ横になって寝られればいいという考えだったのでしょう。

20系には2回ほど乗ったことがあり、いずれも秋田の親戚宅から帰る時で、「あけぼの」と「おが」でした。「あけぼの」の方は、もちろん20系最後の定期特急時代で、およそ35年以上前になります。まだ私は幼稚園ぐらいで覚えていませんでしたが、万が一落ちては大変だからと、下段だった気がします。

「おが」の方は臨時の寝台急行列車で、JRになって間もないころで、当時中学生でした。この時は上段寝台でしたが、起き上がって着替えるのが大変だった気がします(((^^;

覚えているだけで3段寝台を体験したのは2回のみです。今、振り返ると貴重な体験でした。583系の場合は急行「きたぐに」で寝台を利用したことがありますが、A寝台でした。

 


※ナハネフ22車内/鉄道博物館にて

寝台の片付けです。よく見ると「乗客掛」の腕章があり、運転距離の長い列車では朝になると寝台の片づけをしていました。

逆に発車時間が早い列車の場合、夜になると寝台セットをしていましたが、これはかつての東京~九州ブルトレでは必ず見られた光景ですね。

「あけぼの」の20系時代末期で、24系置き換え直前の1980年夏の時刻表から、

あけぼの1号 上野22:00発→青森10:16着

あけぼの3号 上野22:24発→秋田7:31着

あけぼの2号 秋田20:45発→上野6:22着

あけぼの4号 青森18:09発→上野6:30着

秋田発着の3・2号では、運転時間からして走行中の寝台のセット・解体はまず考えられません。消去法でいくと、青森発着の1・4号が該当します。

1号は秋田で客車を2両解結していたので、秋田7:00着、同7:16発となっています。4号は青森18:09発→秋田21:02着です。秋田~青森間でヒルネ扱いをしていたので、辻褄が合います。

ただし、「車掌補」は1976年に役職が廃止されています。

その後に登場した14系以降の寝台車では、自動昇降装置で省力化されましたが、当時は手動で大変だったことを今に伝えています。

20系から始まったブルートレインの歴史が半世紀以上経た現在、終焉を迎えようとしているのは誰もが想像しえたことでしょうか??

今では定期ブルトレは「北斗星」だけとなりましたが、当面存続とはいえ、車両老朽化や青函トンネル通過問題もあるので楽観視はできない状況にあるのは変わりないので、できるだけ記録に残し、後世に伝えるかが使命であると同時に、新たな視点で撮影することも考えなくてはならない時期に来ているのかも知れません。

その様な状況ですから、できるだけ多く寝台列車の写真を撮っておきたいですね。