昨日に引き続き、新幹線50年ネタです。今日は今から15年前に撮影した0系新幹線の写真を紹介します。
ノストラダムスの予言で「恐怖の大王」が降ってくると騒がれた1999年、この年の9月18日をもって0系が東海道新幹線から引退しました。8月9~16日まで夏休みを取得し、前後の土日にあたる8月8日に静岡県へ撮影に行きました。
撮影地に選んだのは静岡~掛川間にある牧の原台地です。
※0系「こだま464号」/東海道新幹線掛川~静岡間にて・1999年8月8日撮影
この年の3月改正で0系「こだま」は2往復に減少し、新大阪を起点とする運用となったため、東京駅では午後しか見られなくなっていました。
晴れてはいましたが、雲の流れが予想以上に早く、トンネル側が雲に隠れた格好の写真となりました。
しかし、さすがは新幹線。0系や100系でも最高時速220km/hは出ていました。200km/h以上の弾丸を受け止めるようなもので、生半可な気持ちでは写し止めることはできません。駅間走行中の新幹線を本格的に写し止めた一コマです。
※0系「ひかり321号」/東海道新幹線静岡~掛川間にて・1999年8月8日撮影
午後になると太陽が西へ移動するのと、新大阪へ向かう「ひかり」を撮るために場所を移動しました。
0系の引退を記念して0系「ひかり」が運転されるためで、静岡県まで行ったのは茶畑の中を走る写真を撮りたかったからなのです。
JR東海からはすでに食堂車組み込みの「ひかり」編成は消滅しており、「こだま」用のYk編成だけとなってしまいました。
食堂車はないものの、ビュフェとグリーン車を組み込んだ16両編成で東海道新幹線を駆け抜けるのは、日本の大動脈を担う重責そのものでした。子供の頃はブルートレインと共に憧れの的であり、食堂車やビュフェでスピードメータに見入っていたのも思い出です。
新幹線を本格的に撮り始めたのもこの頃からですが、新幹線への憧れの原点は0系にあったのです。
新幹線50年を記念し、TOMIXやマイクロエースから0系の新製品が発表されていますが、機会があれば思い出の品として模型を入手したいものです。