思い出の山陽新幹線0系

明日は上越線でC61+ばんえつ物語客車による「SLみなかみ物語」が運転されるので、撮影に行きます。

今日は山陽新幹線の0系にまつわる思い出話です。東海道新幹線からは1999年に引退しましたが、山陽新幹線では当初2006年(1999年当時の報道)までの予定が2008年末まで残りました。

子供の頃に下関へ行った頃に乗った“ひだま”とは、京都以西各駅に停車する「ひかり」のことで、山陽新幹線内では「こだま」の代替も担っていました。

 


※ビュッフェ

JR化後は、1988年から山陽新幹線内で完結する「ウエストひかり」が2000年まで運転されました。当初は6両編成だったのが後に12両までに増結され、ビュッフェも連結されていました。

このビュッフェは「37形式」で、オリジナルは車販準備室の性格が強く、立食スタイルでした。「ウエストひかり」用に改装されたものはテーブル席が設けられ、まさに喫茶店スタイルでした。

1999年4月、山口線へ行くのに東京駅から岡山駅まで「サンライズエクスプレス」に乗り、「ひかり351号」に乗り継ぎました。朝食を食べるために利用し、カレーを注文しました。結果的に最初で最後の「ウエストひかり」ビュッフェ利用となりましたが、貴重な体験です。

 


※0系「ひかり351号」/山陽新幹線小郡駅にて・1999年4月3日撮影

小郡駅(現・新山口駅)を発車する「ひかり351号」です。山口線に乗り継ぐために下車し、反対側のホームから撮影しました。「のぞみ」通過待ちのため、停車時間に余裕があったのも幸いです。

JR化当時、100系はまだX編成7本しかなく、全てJR東海に承継されていました。JR西日本が100系を新造するのは1989年の「グランドひかり」を待たねばならず、100系に準じた塗装になっています。

2000年に700系「ひかりレールスター」に置き換えられるまで、最後まで残った0系の「ひかり」仕業だったのです。

 


※0系「こだま587号」/山陽新幹線小郡駅にて・1999年4月4日撮影

0系最短の編成となった「Q編成」で、4両編成です。主に広島~博多間の「こだま」中心に運用されました。

よく見ると、大窓車が残っています。50年前の東海道新幹線開通時は大窓で、1976年度新製車から小窓になっていました。この時点で経年は25年近くで、新幹線車両の平均耐用年数である15年を大幅に超えていることになっているので、奇跡に近いといってもいいでしょう。

明日は撮影ですので、機会があれば0系に限らずまた紹介します。