今日で福知山線脱線事故から10年が経過しました。当時、空撮された写真を見てショックを受けたのを覚えています。10年一昔といいますが、決して事故を風化させてはなりません。遺族感情への配慮のためか、事故車と同じ207系は塗色が変更されています。
今から6年前になる2009年の今日は、1987年以来22年ぶりとなる下関帰省を果たしています。前年の秋ごろ、当時利用していた婚活サイトのチャットにて下関在住の人から「今度はこっちにおいでオフやってよ」の一言からです。
もし、実現したら20数年ぶりに下関帰省となります。そのため、いつ帰省できるか日程の調整はこの頃から始まっていました。
当時はネットで本当に人と出会えるか懐疑的なところもありました。元相手が自分の都合を優先してドタキャンや延期の繰り返しばかりしていましたからね。サクラ以外何でもないですし。
新宿や横浜、北海道オフで出会い、下関オフ開催へのステップを上がっていったことになります。
当日、東京から「のぞみ」と「ひかりRailStar」を新大阪で乗り継ぎ、新下関駅では迎えにも来てくれました。
過去に下関帰省時は親戚が迎えに来てくれましたが、この時はネットで知り合った人で、シングルマザー・子連れです。しかも、乗ってきた「ひかり」は新下関停車列車に拘っていましたから(^^ゞ
22年ぶりの下関帰省、唐戸地区の変貌ぶりにはびっくりしました。長府付近にあった水族館は唐戸へ移っていました。
2000年、13年ぶりの九州では新幹線利用で新関門トンネルを通っていたので、関門海峡及び関門橋を見るのは22年ぶりということになります。
水族館見学後は居酒屋で宴会ですが、車利用なのでお酒は入りませんでした。もとい、私はお酒は飲めませんが。
宴会終了後に撮影した夜景です。宿泊したホテルが唐戸市場に近かったので、撮影ができました。
火の山があり、33年前の1982年には国民宿舎に泊まった記憶があります。
まだカメラを趣味としていなかったし、小学生だったので当然夜は外に出して貰える筈はありませんね。
2009年には地方オフを開催していましたが、下関は22年ぶりの帰省ということもあり、地方オフ開催が初めてなので数か月前からプラン構想を固めていました。
きちんと約束を遵守することが信頼関係を築くのですが、元相手は信頼関係を築いては壊し、それを金に変えてきたのです。ましてや、下関での実績まで否定することは、極めて自己中心であることは否めません。
水族館ではイルカショー等も見ているので、日を改めて紹介したいと思います。