クハネ581マスキング

今日で11月も終わり、明日からは12月・師走です。今年も残すところあと1か月です。

 


クハネ581の青帯塗装するため、マスキングをしました。マスキング中に判明しましたが、TOMIXとKATOで乗務員室扉の位置が違うのです。

KATOのは、TOMIXに比べて約4mm程度前寄りになっています。これを実車に換算すると、60cmもずれていることになります。

TOMIXのHG仕様が出たからといって、KATOのは簡単に手放せないですし、食堂車を当初から買っていなかったので、急行用として割り切って使うのもありかもしれません。

KATOのは「きたぐに」編成と考えていますが、1985年の電車化当初として12両にし、同年秋に運転された臨時「日本海」もありかも知れませんね。

片方をクハネ581、もう片方をクハネ583とすれば、編成に変化も出てくるので、それもありでしょう。20年以上前に買ったので、更新・修繕すればまだまだ走れそうです。

クハネ581再塗装

今日11月29日は「焼肉の日」だそうです。昨日(11月28日)、ノコギリクワガタの66.4mm♂が死去しました。今シーズン最大の採集個体で、最後の生き残りでした。遺骸は標本にして残します。

 


先日、滲み多発で塗装失敗したクハネ581を塗装剥離し、再塗装しました。

これに便乗し、数年前にヤフオクで落札したKATO対応のレジンボディも同時に塗装しました。レジンパーツの場合、材質上塗料のノリが悪いため、サーフェーサー等で下地処理する必要があります。

一番上のがKATO対応のレジンボディです。583系はTOMIXが2002年にHG製品で再販するまでは、長らくKATOの独占状態でした。

屋根パーツ取り付けの穴が違うことから、両者による仕様の違いも分かります。

「失敗は成功の元」ですから、今度はうまくいくでしょうか?

455系磐越西線色(クロハ455)

今日は午後、LUMBERJACKへ行き、レンタルBOXの虫メンテしてきました。

帰りにBookoffへ寄り、455系磐越西線色(クロハ455)セットを買ってきました。

 


傷あり、動作・ライトOKとのことでしたが、帰宅後にチェックしたところ傷らしきものは見当たりませんでした。塗装に傷があれば、修正は可能ですが。

いざ、手に取ってみると、RMM2008年10月号でのレビュー通り、塗装が厚ぼったい感じがしました。

模型ならでは、誰もが一度はフリーもやってみたいのは思うのかも知れません。実際、九州向けの475・457系を加工した時、直流避雷器を撤去したり、トイレタンクをグリーン車も含めて全車取りつけたりと、フリー要素を取り入れていました。九州の場合、山陽新幹線全通後は本州へ乗り入れることがなくなり、交流専用で使われていましたが。

当面は用途をどうするか保留としておきますか。

ヒメオオクワガタ標本

今日は晴れ間が出ました。しかし、寒気が入っているため、夕方の退勤時には冬の寒さとなりました。冬が刻々と近づいてきています。

 


兼ねてから製作中だったヒメオオクワガタのライブ標本ですが、今日乾燥剤を撤去しました。

1か月近く経っているので、十分乾燥しているとの判断からです。

生前、細い木の枝に登る感じで固定しました。木工ボンドか、ゴム系接着剤がベストで、固定には後者を使用しました。

標本を残すことは、採集や飼育の思い出を残すのと同じです。ヒメオオクワガタの50mmオーバーは珍しいので、標本に残して正解だったと思うでしょうね。

TOMIX製455(475)系増結セット

今日は朝のうちは冷たい雨が降っていましたが、次第に雨は止みました。しかし、ほとんど晴れ間がさすことはありませんでした。

 


数日前、ヤフオクにて落札し、定形外郵便で届きました。TOMIX製の455(475)系増結セットで、KATOの車両ケースに収められていました。

車番は「クモハ455-47」「モハ454-51」と転写済で、トイレは便所流し管が取り付けてあり、垂れ流し式であることが分かります。30年以上前はまだ垂れ流し式が多かったです。

 


クモハですが、よく見ると…AU12形クーラーが6個あります。わざわざ屋根を交換したのでしょうか、これでバラエティが増えるのは間違いなさそうです。

これから改修する予定ですが、トイレは垂れ流しからタンク式へ変わります。車番も揃っていないので、これからでしょう。

455系2題

今日は日中冷たい雨が降り、真冬並みの寒さでした。気温は1桁だったそうです。

 


455系のうち、クモハ455とユニットを組むモハ454にインレタ及びサボステッカーを貼り付けました。車番は12号車となるクモハ455に合わせ、「モハ454-36」としました。

交直両用急行形電車は直流専用の165系の様にモハのみの番台区分がないので、ユニットの車番は全て揃っています。

サボステッカーは11号車とし、急行「まつしま」としました。

 


更にはヤフオクで落札したサロ455が届きました。13両編成用に仕入れた1両です。13両編成を作る場合、基本編成の7両編成から作った方が、車両を調達しつつできそうです。

20年来の記憶を辿る旅-4

連休明けは昼ごろから晴れ間が出てまずまずのスタートとなりました。

20年来の記憶を辿る旅も最終回となりました。

 


国際ビジネス専門学校です。交差点を右折せず、そのまままっすぐ新小平駅へ向かいました。

 


歩道橋付近で自転車を停め、橋の上から撮影しました。青梅街道は片側2車線で、20年前とはあまり変わっていない様に見えます。

 


新小平駅に到着しました。駅舎は改装され、変わっていました。みどりの窓口は閉鎖され、指定席券は指定席券販売機に取って代わられました。

 


駅は2つのトンネルに挟まれた半地下構造です。擁壁上端が「へ」の字型になっているのは、1991年に水没事故があり、地下水上昇で隆起したためです。

 


駅前広場です。タクシーが客待ちしています。時計は16時近くを指しています。

撮影を終えた後は家路につきました。

20年来の記憶を辿る旅-3

3連休最終日は朝から曇り空で、12月上旬並みの寒さでした。明日から出勤です。

 


帰り道、踏切を渡ったところで撮影しました。左の金網の向こうは中学校です。校舎は20年以上前と変わっていませんでした。

朝の通校時は運動部の朝練があったと思います。

 


交差点で自転車を一旦止め、歩道橋に上がりました。当時、歩道橋はなかったですから、数年内に設置されたと考えています。

当時、対面交通で片側1車線ずつでしたが、小学校やマグドナルドの位置からして、西側(写真右側)に拡張されたと考えています。

 


小学校です。気になって小学校の公式HPを見たら、1997年に校舎が建て替えられていました。

撮影した後は、新小平駅へ向けて自転車を走らせました。

つづく。。。

20年来の記憶を辿る旅-2

10連休も明日1日を残すのみとなりました。連休中に面接する筈だった日程は新たに調整し直すことになります。

 


踏切への道を探したところ…ありました!!交差点に歩道橋が設置された以外、踏切への路地はあまり変わっていません。

 


踏切を渡り、右折すると…道幅は当時と変わっていませんが、マンションが建っています。商店の顔ぶれも変わっており、カブトムシの幼虫を買った店はもうなくなりました。

この年以降、カブトムシの幼虫を店屋で買うことはなくなり、10年後の2003年からは夏の間に種親を捕獲して産卵させて幼虫を育てる様になります。

 


着いたのはいいとして、OBとはいえども今は部外者です。文化祭は先週だったので、普段は部外者は勝手に敷地内へ入ることはできません。

敷地外から見ることはできないか?探してみることにしました。

かつての体育館跡は新しい実習棟が建ち、旧グラウンドには体育館が建っています。よく見ると、グラウンドの面積が縮小したのは気のせいではないでしょうか(・・?

つづく。。。

20年来の記憶を辿る旅-1

3連休初日は午後、小平方面へ足を延ばしました。チャリでは初めてで、途中道を間違えながらも15時近くには目的の建物を見つけることができました。

 


※国際ビジネス専門学校

府中街道をひたすら行くと、やっと国際ビジネス専門学校に突き当たりました。在校時、新小平駅から青梅街道を西に5分歩くと、この学校が見えていました。朝は新小平駅から制服姿の通学生を数多く見たものです。

 


※府中街道

国際ビジネス専門学校の傍を通り過ぎ、少し行くと交差点があり、右折すると…

かつては対面交通だったのが、片側2車線に拡張されているではありませんか?

 


※マグドナルド

ファーストフード店のマグドナルドは建物が縮小してしまいましたが、健在です。いや、駐車場が縮小したのでしょうか??

 


※ブリヂストン

タイヤのメーカーであるブリヂストンです。場所的には当時と変わっていませんが…

府中街道をここまで歩いていましたっけ(・・?

 


※交差点

小川駅東交差点です。てことは、左折してみると…

 


※小川駅東口

小川駅東口ですが、確か踏切をいつも渡っていた筈です。交差点を1つ行き過ぎたので、ここで引き返すことにしました。

つづく。。。