2019年備忘録【後編】

今年もあと数時間となりました。後編では7月以降を振り返ります。

 

7月…8~10日に福島遠征。今年は新潟県在住の採集仲間と2人となり、越後湯沢で合流。オホーツク海高気圧による低温という悪条件のさなか、3年連続でオオクワガタの♀を採集できた。また、13日には信州カシオペアが運転され、日暮里では失敗したが、5月同様に日野まで追いかけ撮影に成功。

 

8月…青森遠征が9月になった関係で、夏休みは早川と根府川で「踊り子」「スーパービュー踊り子」を撮影。

 

9月…青森遠征。「カシオペア紀行」を浅虫温泉で撮影した他、轢死体であったが青森産オオクワガタを発見。遠征9年目に生息エリアを発見し、次回以降の遠征に弾みをつけた。

 

10月…長雨と台風であまり撮影活動等はできず、新潟県の土樽にて重連「カシオペアクルーズ」を撮影できたのみにとどまった。特に台風19号は東日本に大きな爪痕を残した。

 

11月…転職後初の社員旅行。初日はナイトクルージング、2日目は群馬県にて「四季島」撮影、3日目は鉄道博物館を回った。

 

12月…今年3回目の信州カシオペアが7日に運転され、日暮里で撮影。日没時刻を勘案し、追いかけ撮影はせず。

今年は3月から撮り鉄再開、SLではなく「カシオペア」中心になりました。「踊り子」へのE257系転用が現実味を帯び、E261系「サフィール踊り子」投入に伴い、「スーパービュー踊り子」の運転終了も決まりました。

10月に発生した台風19号は長野での北陸新幹線水没等、各地に大きな爪痕を残し、災害の多い年だった印象がありました。

今年も福島で3年連続オオクワガタを採集でき、青森では生息エリアを見つけることができました。今後は青森産のオオクワガタを生きて採集できるかにかかっていることでしょう。

間もなく迎える2020年代。東京オリンピックもあり、どんな10年間になるのでしょうか。

今年も1年間お世話になりました。来年もよろしくお願いします。

2019年備忘録【前編】

いよいよ今年もあと1日を残すのみとなりました。年末恒例として2日間に分けて1年間を振り返ります。

 

1月…初日の出は江ノ島。2018年12月に再オープンしたHPの文字化け解消のため、WordPress化に成功した。

 

2月…特にこれといったトピックスはなし。

3月…中央線特急のE353系統一により、E257系が踊り子へ転用される前に立川で撮影。「富士回遊」の新設により、「成田エクスプレス」の河口湖延長が廃止されるため、同時に撮影。

 

4月…皇位継承(譲位)により、30日限りで平成時代が終了。平成時代の終了と共に、旧採集・観察テーマも終了した。

 

5月…新天皇陛下即位により、令和へ改元。令和時代のスタートと同時にメインフィールドが変わり、新しい採集・観察テーマもスタートした。改元間もない頃、信州カシオペアが運転され、日暮里で撮影後に日野で再び撮影する追いかけ撮影に成功。

また、藤沢と早川にて185系「踊り子」も撮影。

 

6月…東日本一周の「カシオペアクルーズ」が運転され、赤羽駅で狙ったが、撮影失敗した。イベント列車運転時はホーム端が混雑するため、この時から駅撮りは避けるようにした。

コクワガタ50mmオーバーが初めて羽化した。

 

7月以降は明日の後編で振り返ります。

ノコギリ・ミヤマ割出

今日はレンタルBOXの掃除と年末挨拶のため、午後にLUMBERJACKへ行って来ました。

 


まずは階下の店舗で菌糸ブロックを買い、瓶詰めしました。年明けに新たなオオクワガタ幼虫の菌糸ビン交換を行います。

 


続いては福島県産ミヤマクワガタの産卵セットをしました。産卵木から木屑が出ているので、幼虫がいそうです。

 


産卵木を崩したら幼虫が2頭見つかりました。孵化後に潜り込んだ模様です。

 


更に1頭見つけました。

 


割出結果は3頭でした。♀親が死んでから放置しすぎたようです。10月のうちに撮り出せれば、もう少し結果は違ったでしょうね。

まだ小さいので、寒さ経験させればエゾ型になる可能性があるので、持ち帰ることにしました。型は小さいうちに決まってしまうようです。

 


続いては青森県産ノコギリクワガタの割り出しです。産卵木は跡形もなくなっていました。

ケースをひっくり返すと幼虫が出てくるわ出てくるわ…でプリンカップへの移し替えが大変でした。

そのうちマットが足りなくなり、階下の店舗でクヌギマットを買い、混ぜて入れ直しました。

 


結果、22頭の幼虫が取れました。飼育しきれないので、半分ぐらいは委託販売に出すことになりそうです。年明け以降に一旦持ち帰って寒さ経験させて幼虫期間を2年1化に引っぱりますか1?

いくら何でも3年1化は長すぎましたね…。2年1化に引っぱっても栄養のある餌を与えられたかで変わるでしょうね。それでも70mmオーバー羽化は難しいので、まずは65mmオーバー羽化と段階的に目指すのが無難でしょう。

オオクワガタ幼虫菌床交換

9連休初日は午後、LUMBERJACKへ行って来ました。先週、瓶に詰めた菌床は菌糸が再生していました。

 


まずは菌床を掘り、幼虫を取り出しました。体重を測ったら…なんと!18gで、♂確定です。WF1でこれだけ育てば上等です。

 


1400㏄瓶に移しました。体色はまだ白いのでもう少し伸びる余地がありそうです。大切なのは3齢初期になってからで、中期以降は伸びがなくなっていきます。タイミングが羽化サイズを左右するといっても過言はないでしょう。

 


2頭目は6gでした。頭の大きさから♀の様なので、800㏄瓶へ移しました。

 


3頭目は10gです。頭の大きさと卵巣マークから♀確定です。

 


♀なので800㏄です。45mm以上望めれば上等でしょう。これまでの平均羽化サイズは42~45mmぐらいです。

 


4頭目は17gだったので♂確定、1400㏄瓶へ移しました。この日2頭目の♂幼虫です。

 


5頭目は3か月経ってもまだ小さく、2gでした。性別不明なので、800㏄へ移しました。どっちみち菌床が劣化してくるので、3か月を目安に新しいものへ交換した方が無難です。

 


6頭目は19gで♂確定です。それにしてもでかいですね。体色がまだ白いのでもう少し伸びが期待できそうです。

 


1400㏄瓶へ引っ越しました。この日確定した♂幼虫は3頭目です。1頭がWF1、残り2頭がF2です。羽化予想サイズ72~73mmは期待できそうですが、東北産ですので、一定期間の寒さ経験が必要です。そうしないと菌床飼育でも幼虫期間が2~3年1化に伸びてしまう可能性があります。

現に寒さ経験をさせなかったため、3年1化(!)になった♂幼虫が2頭います。

 


この日最後の1頭は2gで性別不明のため、800㏄瓶へ引っ越ししました。菌床が劣化しているので、このまま劣化させるよりもましでしょう。劣化菌糸はノコギリクワガタやヒラタクワガタに向きますが、オオクワガタの場合は新鮮な菌糸でないとダメそうです。

 


7頭全て新しい菌糸瓶に移し終えました。年明け後、♂幼虫を持ち帰って屋外バルコニーで寒さ経験させます。概ね1か月~1か月半ぐらい寒さ経験させておけばいいでしょう。

ただし、この場合は次回交換がGW頃にずれ込む可能性がありますので、劣化具合を見て判断することになります。

ロマンスカーGSE初乗車

今日は仕事納めで、明日から来年1月5日まで9連休です。

納会や年末挨拶で少し遅くなることを考慮し、会社帰りは途中の新百合ヶ丘まで特急ロマンスカーにしました。

小田急線沿線で朝、急行等で新宿到着後、すぐに職場へは向かわずに特急券券売機等で帰りのロマンスカー特急券を買う人も多いです。定期券と特急券で乗車できるためです。

朝、通勤急行で新宿到着後に特急券を買っておきました。

 


乗車したのは新宿18時15分発の特急「ホームウェイ3号」、車種は70000形GSEです。GSE乗車は初めてです。

 


乗車したのは後展望席です。かつてロマンスカーといえば展望席が売りでしたが、今では50000形VSEと70000形GSEの4編成しかありません。最多勢力の30000形EXEと地下鉄および御殿場線乗り入れの60000形MSEは分割運用もあるため、展望席はありません。

 


飲料自動販売機です。かつては「走る喫茶室」と言われていましたが、GSEではワゴン車による車内販売に変わり、代替として飲料自動販売機が設置されています。

JRでは新幹線、特急列車とも飲料自動販売機が無くなりつつありますが、あるだけでも安心感がありますね。

 


一般席ですが、中間車両(左写真)と先頭車両(右写真)では天井構造が異なります。中間車では荷棚がありますが、先頭車にはないのです。代わりに荷物置き場がありますが、大きな荷物を持っている場合は要注意です。

新宿を発車したら次の停車駅は新百合ヶ丘、わずか27分のショートトリップは終了、多摩線に乗り換えて帰宅しました。

いつもは快速急行が多いですが、特急料金は会社から支給される定期代には含まれないので、自腹となります。新幹線定期と違って確証が持てる訳がないので、会社からは有料列車に乗りたければ、定期代とは別に自費で料金払って乗ってくれということでしょうね。

最後のSL

今日から学校は冬休みです。仕事納めは明日なので、今年の稼働日はあと1日です。

 


“パック”ことEF58 89の側面を撮影した後は最後のSLの元へ向かいました。

側面から見ると、いかにつらら切りの庇が大きくて目立ちます。お召指定機の61号機は窓が大きく、つらら切りがありません。これは寒冷地・温暖地と運用線区によって分けられたのでしょう。

 


最後のSLことC57 135号機です。最後のSLと呼ばれるのは、1975年12月14日に室蘭本線でSL最後の定期旅客列車を牽引したからです。最終運転日は「さようならSL」のヘッドマークが取り付けられたそうです。

なお、最後のSL定期貨物列車はD51牽引で、10日後の1975年12月24日に夕張線(現在の石勝線の一部)でした。

よく見るとデフレクターが20㎝程度切り詰められており、北海道型の特徴がでています。ただし、同じ場所で活躍したD51ほどではないので、あまり目立っていません。

前回は転車台の上で展示され、オコジロウくんとオコミちゃんの結婚を汽笛で祝福していました。

現在は西日本で1号機が、新潟支社で180号機が動態保存されていますが、SL最後の定期旅客列車を牽引した功績は永遠に語り継がれていくことでしょう、

新幹線開業前の上野駅

今日はクリスマスで、アメリカ等の欧米諸国では祝日になっています。また、祝日だけでなく、来年1月1月までお休みで1月2日から仕事始めとなっています。日本では12月末から正月にかけて休むので、仕事始めは1月4or5日となっているので、文化の違いですね。

 


転車台から南館側には新幹線開業前の上野駅が再現されており、485系、455系、181系が展示されています。

昨年末に悪戯があり、455系では「急行」表示が「普通」表示に変えられたこともあったそうです。

新幹線開業前の上野駅は東北、常磐、北陸、甲信越方面へ向けて多くの特急や急行列車がひっきりなしに発着していました。1982年の東北・上越新幹線開業後は新幹線に変わられ、現在は寝台列車すら廃止されたうえで上野東京ライン開業によって地平ホームは寂しくなってしまいました。

現在のJRは定期急行が全廃されていましたが、急行は特急が停車しない中小都市とを結び、補完列車の役割がありました。今の特急は急行並みに停車駅が多く、常磐線の「ひたち」「ときわ」で速達タイプと停車タイプに愛称を分けているケースもあります。

 


485系特急の車内では車内販売も置かれています。ワゴンに積んでいるのはお茶、飲料水、お弁当、お土産でしょうか。

食堂車と並んで供食サービスの一環を担っていましたが、駅ナカの充実で利用客が減り、今では全廃または品目を縮小されてしまいました。

駅の売店で駅弁を買いそびれた時は助かったのですが、これからは時間に余裕をもったうえで、乗る前に弁当を買ってくれということでしょうか。

改めて時代の流れさえ感じました。

ED75

今日はクリスマス・イブ、数年前までは新潟でクリスマスを過ごすのが通例でした。SL撮影・ホワイトクリスマス、温泉を満喫するのが楽しみでした。

磐越西線のSLクリスマス運転が12月初頭に早まった今、ホワイトクリスマスのSLを望む術はありません。山口線の場合は遠いうえに冬型が強まらない限りはホワイトクリスマスは難しいでしょう。

日本ではクリスマス・イブをカップルで過ごす日と解釈されています。クリスマスを新潟で過ごした頃、元相手は理由をつけて新潟行きを拒否していましたが、本当は他に本命がいて、最初から騙すのが目的だったといわざるをえないでしょう。

雪があまり降らない地域に住む人間としてはホワイトクリスマスに憧れがあり、その一人です。クリスマスを新潟で過ごした経験は何ものにも代えがたい経験となった筈です。

 


EF66貨物列車と上野駅を模したスペースの間にはED75電機機関車が展示されています。

ED75は交流専用の機関車として、周波数に合わせて東北・北海道、九州地区に投入されました。50Hz用が東北・北海道、60Hz用が九州地区にです。国鉄末期に北海道と九州地区のものは全て廃車されたため、民営化時は東北地方にだけ残りました。

展示されているのは775号機で、ED75の完成型と言われている700番台です。国鉄末期からJR化初期にかけて、34両が青函トンネル用のED79へ改造されました。2016年3月の北海道新幹線開業で青函トンネルを含む共用区間の架線電圧昇圧でED79は全車引退(種車としての製造から40年前後経過し、老朽化も進んでいた)し、2012年には貨物列車運用からも退いているので、現在はレール輸送等の工臨やイベント列車用に数両が残っているのみです。

 


かつては寝台特急「ゆうづる」や「あけぼの」等を牽引していましたが、1997年3月を最後に寝台特急運用からは退いています。

当時、貨物列車の時刻表を買っていなかったので、偶然に撮るしかなく、走行写真は青森口での寝台特急「北斗星」と急行「はまなす」のED79を除けば、イベント列車しかありません。

撮影した当時は旧客を牽いていたので、ヘッドマークと最後尾の逆向きSLを除けば、古きよき時代を偲ぶことができるだけよしとしましょう。

貨物列車

今日は昨年まで天皇誕生日でしたが、今年は皇位継承があったため平日になりました。“上皇誕生日”ですが、二重権威防止のために祝日にはなりませんでした。かつての上皇・天皇の関係は二重権威の象徴だったそうです。

30年前に昭和天皇が崩御した時、天皇誕生日だった4月29日が祝日のまま残されたのは、昭和天皇が植物学者だったことと、GWの一環だったという事情があるそうです。

 


EF66の11号機が貨物列車と連結された状態で展示されています。貨物列車は物流の一環を担い、ライフラインともいえます。

例えば北海道から玉ねぎやジャガイモなどの農産物が運ばれてきたり、首都圏から全国各地へ雑誌類も輸送されてきます。

今では貨物列車はコンテナ輸送が主流ですが、タンク車による石油輸送もあります。2011年3月の東日本大震災発生後、日本海側を経由して被災地へ灯油やガソリン等の石油列車が運転されたりもしました。

展示されているEF66は前期型で、運転室窓上の庇がありません。後年の更新工事では前期型にも庇が取り付けられています。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線藤沢~大船間にて・2008年3月23日撮影

10年以上前に撮影しましたが、国鉄民営化時にJR西日本が継承したのは40~55号機の16両で、全て後期型です。EF66の0番台は大きく分けて前期型と後期型に分けられ、後期型は新製時から運転室窓上に庇があります。

現在、EF66の0番台で稼働中なのは27号機だけとなりましたが、新製時から庇があります。

EF210への代替で稼働しているのは27号機とJR貨物が新造した100番台だけになりましたが、見られる機会があるうちに走行写真を撮っておきたいものです。

1号機関車とマレー式機関車

今日は冬至で、1年の内で夜が一番長い日です。例年なら関東は晴れのことが多いですが、今年は曇りで夜には雨となってしまいました。かぼちゃとゆず湯で冬至を実感できただけよしとしましょう。

アメブロからのブログ記事移動は2017年10月分まで終わりました。残るはあと4年分です。アメブロから全ての記事を移動し終えた後に廃止時期を決める手はずとなっていますが、2013年1月からとするか、楽天からアメブロへ移動した2013年10月からとするか考えないといけません。過去の遠征記事をHTMLにまとめる必要も出てきそうですし。

 


EF58の向かいにはマレー式機関車の9850形SL展示されています。現在の御殿場線等、勾配路線用にドイツから輸入されましたが、構造が複雑で早期に引退しました。交通博物館時代から内部の構造が分かるように切開されており、撮影したのは切開されていない方です。

 


続いては1号機関車です。新橋~横浜間の鉄道開業時にイギリスから輸入されたSLです。鉄道記念物であり、1997年に鉄道車両で初めて国の重要文化財にも指定されました。

この他にもSLが何両か展示されていますが、C57以外撮影してませんでした。。。鉄道黎明期は外国から輸入しており、イギリス、ドイツの他にアメリカからも輸入されています。

この後は再び車両ステーションの中に戻りました。