20系客車と0系新幹線

今年も2日連続の忘年会でした。去年までの居酒屋が閉店したので、今年は新しいお店でした。ソフトドリンクにウコン茶があるのは初耳で、終盤に注文しました。ウコン茶はやや苦みがありましたが、次第に慣れてきました。

ウコンはカレー粉にも用いられ、肝機能にもいいとされ、二日酔い対策ドリンクの原料にもなりますが、有効性や安全性についてはまだ十分に検討しつくされていないため、毎日はもちろんのこと、過剰摂取は避けるべきでしょう。

 


この日は20系寝台車内の開放日で中に入って見学することができました。車掌補による寝台片付けと寝台客が横になっているところが再現されています。

昔は「車掌補」があり、寝台列車では給仕の仕事をしていたそうです。寝台のセット、片付けが主だったのでしょう。

寝台幅は52㎝なので、狭さが際だっていますね。581・583系で下段が106㎝、上・中段が70㎝に広げられるまではB寝台では寝返りをうつことはできませんでした。しかし、昼間にヒルネ扱いで座席として座る分としては申し分なかったでしょう。

20系寝台客車に乗ったことがあるのは2回ほどで、寝台特急「あけぼの」と寝台急行「おが」(臨時列車)ですから、30~40年ぐらい前ですね。

 


バックサインは「あさかぜ」です。「あさかぜ」が最初のブルートレインで、20系が最初に投入されたのですから、当然でしょうね。

1970年代から14系、24系といった後継車両に特急運用が置き換えられ、急行に格下げ使用されるものも多くいました。

急行に格下げ使用された列車は、定期で覚えているだけでも「銀河」「天の川」「十和田」「津軽」「ちくま」「かいもん」「日南」「だいせん」で、国鉄末期までに廃止または後継車に置き換えられ、1986年11月改正で定期運用から退いています。

 


20系客車の後は0系新幹線です。1964年の東海道新幹線開業時を再現し、ボンネットがぼんやり光っています。

当初は光前頭と呼ばれ、200km/h以上のスピードで走るために視認性を高める目的もあったのでしょう。当時、時速200km/hは世界でも前例がなく、ヨーロッパを始め世界中を驚かせたそうです。

子供の頃は新幹線=0系で憧れの的でしたね。博多までだったレールが今は鹿児島まで…とは子供頃には想像しえませんでした。残念ながら東京~鹿児島中央間の直通はありませんが。

この後は一旦外へ出ました。