今日は七草で松の内も終わりです。そして、31年前の今日は昭和天皇が崩御し、昭和時代が終わりました。翌日の1月8日から平成に改元し、昨年4月30日まで30年余り続きました。
「昭和64年」はたった7日間しかなかったですが、94年前の「昭和元年」は大正天皇が12月25日に崩御したため6日間しかありませんでした。ただし、昭和に即日改元したため、実質的には7日間といっていいでしょう。
1926年最後の1週間が「昭和元年」、1989年最初の1週間が「昭和64年」ということになります。昨春の改元で昭和、平成、令和の3つの元号を跨いだ世代になりました。
マイテ39展望車が「富士」の山型ヘッドマークを装着して展示されています。かつては青梅鉄道公園に展示されていましたが、荒廃したために1988年ごろ大井工場へ移送されました。鉄道博物館オープンの際、できる限りの内装の復元が行われたうえで展示されています。
戦前の特急「富士」用に製作された1等展望車で、桃山式の内装で豪華だったそうです。ただ、青梅鉄道公園から移送した当時、桃山式の内装を修復できる技術が残っておらずに復元を断念したそうです。
戦前の命名時は東京~下関間の運転で、関門トンネル開通後は長崎まで延長したのも束の間、戦争の激化で博多発着に短縮のち廃止されました。
ブルートレイン時代の「富士」です。1985年3月に本州内の牽引機がEF65からEF66に変更されると同時にヘッドマークも山型になりました。2001、2003年頃に静岡県下で富士山バックに撮影したことがあります。2008年3月にも富士山バックに撮影はしていますが、この頃は「はやぶさ」と併結運転になり、ヘッドマークは円形で山の麓を鳥が飛ぶ図柄だったので、ここでは割愛します。
最末期は「はやぶさ」と東京~門司間で併結運転で、分割後の単独運転区間では山型ヘッドマークは健在でした。
ブルートレインブームの世代としては、かつて「富士」が東京~西鹿児島間を日豊本線経由で24時間以上かけて結んだ日本最長距離列車であることを知っています。その走行距離はな~んと!1595.9㎞です!!この記録は今も破られていません。
ただし、日本最長距離列車だったのは宮崎短縮される1980年までで、その後は1997年まで「はやぶさ」が引き継いでいました。
寝台特急「富士」が「はやぶさ」と共に廃止されてから10年以上経ちますが、再び山型ヘッドマークを目にするとは思いもしなかったことでしょう。