超レアカット

先日の出社日(3月9日)、退勤時に新宿駅で超レアな場面に出くわしました。

 

7000系特急
ライト交換ですが、もう一つの特筆すべきなところは…前面貫通扉を開けているところです。

新宿駅はホームドアがあり、作業員が直接線路に下りにくくなったからでしょうか。貫通扉を開けてから線路に下りた模様です。

京王では過去に6000系の地下鉄乗り入れ10両編成にて先頭車同士の連結部は貫通幌でつなぎ、運転席・助士席を仕切って貫通路を構成していました。これは、省令で地下鉄での非常口確保が義務つけられているためです。

6000系を置き換えた9000系は地下鉄乗り入れ車が10両貫通固定編成で、地上用の10両編成では9000系・7000系のいずれも先頭車同士の連結部は幌がなく通り抜けはできません。

7000系は6000系のマイナーチェンジ車で登場当初は分割併合運転を想定しておらず、乗務員室内の仕切りは設けられていませんでした。

写真の7000系は後期タイプで幌枠と渡り板がなくなり、非常用貫通扉同様になりました(貫通型先頭でも運転台仕切りや幌の取り付けができないものは非常扉と定義付けられることが多い)。

非常用とはいえ、前面扉を開けていりシーンは超レアともいえるでしょう。

6000系引退から12年…

今日3月13日は青函トンネル開通から35年です。新幹線規格で建設されたものの、東北新幹線盛岡以北および北海道新幹線着工の目途がたっていなかったために在来線として開業、のちに考案されるスーパー特急方式の原型となりました。

寝台特急「北斗星」がデビューしたのもその頃ですが、北海道新幹線開通前に27年で運行廃止となりました。

 

 

6000系ワンマン 6000系ワンマン
京王から6000系が営業運転を終了してから12年が経ちます。京王初の20m大型車両としてデビューし1991年までの19年間で304両が作られました。

写真は全て2011年3月初旬に動物園戦で撮影したものです。

最盛期には2・3・5・8両編成でそれぞれを組み合わせて最大10両編成まで組成、各駅停車から特急列車、地下鉄乗り入れまでオールラウンドに活躍してきました。

一時は京王で最多勢力を誇ったものの、地下鉄乗り入れ車は下2桁が30~40番台の8両編成14本と2両編成10本(地上用からの転用改造を含む)の132両に限られたうえ、1998年から老朽化による廃車が始まりました。

 

6000系ワンマン
引退間近になると感謝のヘッドマークが取り付けられていました。最後まで残ったのは動物園線ワンマン用の4両編成1本で、1991年製造です。

最終製造車は5扉車で5両編成4本でした。うち2本が4扉に改造、残った2本は5扉のままで6両と4両に組み替えられましたが、他の3本は車齢20年に満たずに廃車されました。

最終営業日は午前中だけで、その後は7000系に代わりました。この時点で事業用車を除いて京王の営業車から鋼製車が消えたことになり、一つの時代が終わったように感じられました。

ダイヤ改正後の京王

今週は4日連続の出社、明日は休暇です。基本テレワークだったので4日連続出社は久しぶりでした。コロナ前は毎日出社が当たり前でしたが。

 

電光掲示板 電光掲示板
今回は京王もJRグループと同じ12日にダイヤ改正を実施、京王ライナーが平日も明大前停車、Mt.TAKAOの通年運行化が目玉ですが、準特急の廃止も見逃せません。

そこで会社帰りはダイヤ改正後の変化を見るのを兼ねて京王に乗りました。平日朝ラッシュ時の運転本数適正化で、若干スピードアップもあったようです。小田急線の複々線化で通勤経路変更前、急行で新宿まで48分(定時運行なら)だったのが最速で45分になっています。しかしながら、調布⇒笹塚間で急行でもスピードダウンしているのは変わらず、新線新宿駅が地下深いため、丸の内線への乗り換えが大変でした。

電光掲示板を見ると…もちろん準特急はありません。オレンジ色もなくなっています。

 

路線図
路線図も変わりました。表向きでは特急が笹塚、千歳烏山、京王片倉、山田、狭間に新規停車となっていますが、改正前の特急を廃止、準特急を特急に改称しただけです。

種別統合は30年前の1992年5月にもあり、急行がつつじが丘に新規停車し、停車駅が同一となった通勤急行が廃止されました。2013年2月改定では特急が分倍河原と北野に新規停車となっていますが、今回同様の手法で変更しており、準特急は高尾線内各駅停車となったのがポイントです。この時、一時的に京王八王子発着の準特急が廃止されています。

改正前、特急は明大前~調布間のノンストップ運転が目玉だったのですが、途中千歳烏山に停車となったことで、惜しむ声もあったのでしょうね。改正後はライナーが引き継いだ格好ですが、調布と京王稲田堤通過なのが違うポイントです。

 

京王ライナー
京王ライナーの平日明大前停車をアピールしています。井の頭線との乗り換え駅であるのはもちろんですが、それ以前にも踏み切り鳴動のために運転停車していました。明大前駅は前後に踏切があり、全列車停車が前提にプログラミングされているのか、列車が停車しないと鳴動しないためです。

コロナ禍による乗客の行動様式の変化に合わせて減便も目立つ改正でしたが、需要は完全に戻らない(9割前後まで?)と予測されているだけに、生活への影響はどう出てくるのでしょうか。

高尾山駅

今日は仕事納め、明日から来年1月4日まで6日間お休みです。小田急の公式HPによると元日の臨時ロマンスカーは江ノ島行き1本のみで、仮に江ノ島へ初日の出を見に行った場合、帰りは各駅停車もしくは急行を利用しなければならず、混雑が予想されます。

そのため、数年ぶりに高尾山を検討しています。いや、ダイヤモンド富士を見るために最近行ったばかりですけどね。

 


明るさが残っているうちに高尾山駅へ戻ってこれました。あとはケーブルカーで下山するだけです。日没後、薬王院までの山道は真っ暗になるため、ライト持参が推奨されていましたが、結局はライトを使わずに薬王院まで戻れました。

薬王院から高尾山駅までは間隔が長いながらも外灯があります。

ケーブルカーで麓へ下り、高尾山口駅に着いた時は17時を回っており、夜の帳が下りていました。

準特急は入線しており、少なくなった7000系幕車です。7000系の幕車は前期製造車を中心に残っており、後期製造車との区別は先頭車の幌枠と渡り板の有無、側面がコルゲートかビートプレスの違いです。ただし、1991~1992年に6両編成の一部を8両編成にするために製造した中間車はコルゲート加工となっています。

来春のダイヤ改正で準特急が特急に統合されて消滅するため、この準特急幕もあと数ヶ月で見納めとなります。7000系前期製造車に廃車も発生しているので、貴重なカットになっていくことでしょう。

聖蹟桜ヶ丘駅まで準特急に乗車し、後は自転車で帰宅しました。

緑の8000系準特急

今年もあと10日余りとなりました。実働日は残り7日、30日から来年1月4日まで年末年始休暇です。

 


高尾山へ行くには京王線です。なぜなら、高尾山口駅まで京王線が乗り入れているからです。

なんたって、京王線は運賃が安いです!新宿~高尾間だけでも、JRの場合は片道730円、京王の場合だと370円でおよそ半分です。高尾山口駅まででも390円で京王線だと一部時間帯を除いて直通で行けるのです。JR利用だと高尾駅での乗り換えが発生、京王の初乗り運賃130円がプラスされ、860円!になります。

自宅から自転車で聖蹟桜ヶ丘駅まで行き、京王線準特急に乗車しました。なんと!緑の8000系でした。

準特急は来春のダイヤ改正で特急に統合されて廃止となりますので、「準特急」の表示も撮っておきました。準特急は全国で京王が唯一なのですが、再び消滅することになります。

約30分で高尾山口駅に到着、ケーブルカーに乗るために清滝駅へ向かいました。

7000系幕車の準特急

明日は職場で一斉大掃除のため出社日、今日は振替でテレワークとしました。明後日の土曜日は高尾山へ行く予定です。

 


過去の写真を漁ったら、7000系のオレンジ幕の準特急の写真を見つけました。2013年5月3日に撮影したものです。

この年の2月改正で通勤快速を区間急行に改称して運転時間等を拡大、相模原線2代目特急運転が目玉でした。相模原線は1992年5月から2001年3月までの間に特急が運転されていましたが、初代特急は相模原線内は途中、京王多摩センターだけの停車でした。2代目は相模原線内の停車駅が急行と同じで、京王稲田堤、京王永山、京王多摩センター、南大沢と初代に比べて3駅増えています。現在のライナーは調布、京王稲田堤も通過します。

京王稲田堤、京王永山、南大沢は特急停車の要望が多く、一旦は急行格下げという形で要望が実りましたが、2代目特急運転に際し、相模原線内は急行と同一になったのです。

7000系は後期製造車を中心に種別、行先表示機がLEDになりましたが、前期製造車を中心に幕が残り、ダイヤ改正前に取り替えられていました。特急がピンク地、準特急がオレンジ地、急行が緑地、区間急行が黄緑地、快速が青地になりました。

7000系前期車を中心に廃車が出ており、幕車はますます基調になりつつあります。来春、準特急の廃止とともにオレンジ地の種別幕も見納めとなるのです。

準特急消滅!

先日、京王が来春のダイヤ改正で特急が笹塚と千歳烏山、高尾線内各駅に停車する代わりに準特急が廃止されることが発表されました。

 


写真は今から13年前の2008年2月3日に上北沢または八幡山駅で撮影したものです。当時の準特急は特急と同じく赤地幕でした。

準特急は2001年3月27日改定で新設され、「特急に準ずる」位置づけでした。登場時は新宿~府中間が特急、以西は急行でいわゆる「区間特急」でした。全国でも京王が唯一で、他社線だったら「快速急行」が相当します。

現在は相模原線にも運行され、停車駅も新宿~高尾山口間に限れば登場時より5駅増えており、急行と変わらない停車駅数です。

特急が千歳烏山にも停車するということは、現行の特急が調布~明大前間ノンストップ運転なので、ライナーに譲る形での消滅となります。ただし、ライナーは調布駅を通過しますが…。急行との違いはつつじヶ丘、桜上水を通過するか停車するかだけになります。

現在の準特急は7000系幕車ではオレンジ地なのですが、7000系の廃車が発生している昨今、思い出の彼方に消せ去ろうとしています。

残された期間でどれだけ記録できるのでしょうか。

京王ライナー

今日は週1の出社日でした。会社帰りにヨドバシカメラへ寄り、エーワン製のデカールシールを買ってきました。なんと!パソコンを使ってデカールを自作できるのです。

年始からリメイクしているものがあり、失敗しているので最後の望みとしてデカールを自作するしかない!と考えていました。印刷する絵柄は写真からも作れるので、写真撮影⇒PC取り込み⇒データ加工⇒印刷となります。連休中はモノづくりもありです。

 


帰りは時間がちょうど合ったことから、京王ライナーに乗車しました。京王初で唯一の有料座席指定列車です。乗車するには運賃の他に座席指定席券が必要です。

別途410円がかかりますが、確実に着席できるのが強みです。人口減社会を迎えた今、東京も例外ではなくなってきています。収入源確保と着席ニーズに応えるために登場したといっても過言はありません。

明大前駅は駅の前後にある踏切作動のため運転停車となっていますが、調布通過は大胆でしたね…。明大前駅はライナー登場前は全列車停車で、踏切も列車が停車しないと鳴動しない設定になっていました。調布駅も地上時代は同様で、地下化された今は踏切がなくなったので通過できるようになったのです。

相模原線系統では京王稲田堤駅が通過となっていましたが、1992~2001年の初代橋本特急が通過していたので、今に始まったことではありません。

先行列車の遅れ等で追いついて徐行もありましたが、わずか30分足らずの快適な帰路でした。各駅停車はある意味タイムキーパーですね…。退避駅まで逃げ切らなければいけませんから。

「陣馬」「高尾」ヘッドマーク

久しぶりにアメブロからの記事移転です。来週からのGWを控え、2013年5月3日に「陣馬」「高尾」のヘッドマークを撮影しましたので、記事を移したうえで再掲となります。

ただ、29日から5月9日まで東京都でも緊急事態宣言が検討されており、百貨店などの大型店舗が休業になる可能性もありえます。通販を利用する手もありますが、通販まで休業となれば、GW明けまで利用できないこともありえます。

 

2013年のGW中、京王では4月27~29日と5月3~6日の間、新宿7時30分発の特急と同7時49分発の準特急にヘッドマークを取り付けて運行するとの情報があり、3日の朝に多摩川へ撮影に行ってきました。

撮影地に多摩川を選んだのは、午前中の下り列車は太陽を背にして西へ走るために順光では撮れず、多摩川だけは線路が南北に走る関係で光線の調整がしやすいとの判断からです。

7時25分ごろ、自転車で自宅を出発し、約20分で撮影地に到着しました。すでに何人かのファンが集まっていました。

 


※8000系 特急高尾山口行/京王線中河原~聖蹟桜ヶ丘間にて

まずはいきなりですが、「陣場」ヘッドマーク付の特急が来ました。昔のハイキング特急「陣馬」は京王八王子行きでしたが、現在は陣馬高原行きのバスが高尾駅発着に変わったため、高尾山口行きの特急にヘッドマークが取り付けられました。

かつて休日の特急は6000系の3+5両編成を用いて、高幡不動駅で前3両を京王八王子行き、後5両を高尾山口行きに分割していましたが、終日にわたって実施した訳ではありません。

朝は「陣馬」「高尾」がそれぞれ単独運行し、その後は分割・併合は夕方までで夜間は京王八王子発着だけでした。

 


※10-300形 急行高尾山口行/京王線中河原~聖蹟桜ヶ丘間にて

続いて、都営車の急行が来ました。都営車は相模原線直通がほとんどですので、京王線調布以西では土休日の朝にしか見られず、レアです。

 


※8000系 特急京王八王子行き/京王線中河原~聖蹟桜ヶ丘間にて

8000系の特急京王八王子行きです。2月22日のダイヤ改定で特急が復活しましたが、改定前の準特急を特急に改称しただけで、実質的に停車駅増加が図られれたといってもよいでしょう。

先日、聖蹟桜ヶ丘から京王八王子まで特急に乗る機会がありましたが、列車種別選別装置では、府中以西は急行扱いとなっています(相模原線も同様)。京王線の府中以西と相模原線は、システム上では急行と各停しかないことになります(準特急の高尾線内と、区間急行及び快速の各駅停車区間はシステム上、各停として扱われる)。

土休日の特急は京王八王子と橋本発着が中心です。

 


※7000系 準特急高尾山口行き/京王線中河原~聖蹟桜ヶ丘間にて

トリは7000系の準特急です。7000系の幕車は貴重ですので、撮影しておきました。いつ、LED化されるか分からないためです。

「高尾」ヘッドマークは、文字通り高尾山口行きのハイキング特急に取り付けられていました。「陣馬」「高尾」の後は、夕方まで通常の分割特急が走っていましたね…あ~、懐かしい。。。8000系が登場する前、20年以上前の話ですから、私はまだ高校生でした。

サイズはかつて6000系が装着していたものと同一で、6000系亡き今、7000系が面影を伝えている様でした。

Mt.TAKAO

今朝は通勤時、丸ノ内線の新型車両である2000系に乗ることができました。車体色の赤はシール貼りになっています。東京メトロでは工場から塗装職場が全廃になっているためです。銀座線の1000系も同様に車体色はシール貼りとなっています。

 


一昨日の4月7日、聖蹟桜ヶ丘へ京王線の撮影に行って来ました。

新緑のシーズンに向け、高尾山へ臨時の有料座席指定列車を5月26日まで土日祝日に運行しています。白昼堂々と5000系を狙って撮影できる反面、午前中は太陽が東にあるため、西行きは前面に日が当たらない半逆光になってしまいます。

線路が南北を向き、光線状態の調整ができる区間はそう多くはありません。多摩川橋梁はその数少ない場所です。

先行の電車で試し撮りをし、本番に備えました。10時50分ごろに「Mt.TAKAO85号」が通過してきました。車内は空席が目立っていますが、GWが近づくと増えてくるでしょうか?新宿から終着・高尾山口までノンストップ扱いなもの一因かもしれませんが。

高尾山が新緑に覆われる頃、平成から令和へ時代は移り変わってゆくのです。