2022年新潟遠征【完結編】

今日から9月です。同時に関東大震災があった日で、今年で99年、来年でちょうど100年になります。発生時刻が午前11時58分で、多くの過程で昼食準備をしており地震発生で火を消さなかったところが多く、火災の被害を大きくしたともいわれています。

10万人以上が死亡または行方不明となり、この大震災を忘れないために「防災の日」が定められました。

 

 

十日町駅 十日町駅
約30分で十日町駅に到着しました。ほくほく線に乗って越後湯沢へ向かいます。

特急「はくたか」が廃止されて以来、使われなくなった通過線、無駄に長いホームは手持無沙汰のように見えました。実際の特急「はくたか」は停車本数が少なかったですが、「電車でGO!2」ではゲーム内にて停車テクを求めるため、必ず停車していました。

特急なので当然ながら通過駅が多いうえ、ほくほく線内では最高時速150km/h(当時)で走るため、連続定通を取る方が難しかったですよ…。それでも運転評価100点満点中95点以上は取っていました。

 

HK100形
約35分で越後湯沢駅に到着しました。今年で開業25年を迎えたので記念ヘッドマークをつけていました。特急は廃止されても、地元に愛される鉄道であってほしいものですね。

 

E7系 E7系「たにがわ410号」
越後湯沢駅からは「たにがわ410号」で東京に帰ってきました。本来なら「とき316号」でもよかったですけど、お土産や昼食を買う時間を取るため、1本後にしました。

13時に東京駅に到着、この後は中央線と京王線を乗り継いで帰ってきました。

天候不順とコロナによる日程短縮で思うように成果は出せませんでした。友人からオオクワガタ♀を戴けたのはせめての慰めでしょう。

これにて2022年新潟遠征は完結です。

2022年新潟遠征【1】

来週の秋田遠征まであと1週間となりました。残暑があまり長続きせず、記録的冷夏だった1993年に並ぶ冷夏となってしまうのでしょうか。30年に1度の異常気象だとすれば、もうそれだけの月日が経ったということでしょうか。

1カ月遅れましたが、新潟遠征の報告です。当初、7月20~22日の予定だったのが初日に宿泊予定のけんぽ保養センターのスタッフが新型コロナ感染したために休館、日程短縮となりました。

 

とき321号
東京駅12時40分発の「とき321号」で旅立ちました。昼食は途中の新宿駅構内の飲食店で済ませたので、食事時間確保のため、ゆとりを持って家を出ました。

 

とき321号 とき321号
約1時間20分で越後湯沢駅の到着しました。学校が夏休みに入ったのか、親子連れが多い気がします。しかし、コロナ前よりは少ないのは変わらないでしょう。

 

越後湯沢駅 越後湯沢駅
在来線へ乗り換えです。十日町へは北越急行ほくほく線で行くのが近いのですが、あいにくこの時間は直通がなく六日町乗り換えです。

2015年3月の北陸新幹線金沢延伸までは681・683系による特急「はくたか」が発着していましたが、今はそのような賑わいはありません。

 

湯浴み 湯浴み
待合室前で「湯浴み」を発見。女性像でホームにアートは珍しいです。

 

E129系普通
しばらくしてE129系の普通列車が到着しました。六日町まではこれに乗って移動します。

 

HK100形普通
約20分で六日町駅に到着しました。ほくほく線乗り換えです。大半の列車がJRに乗り入れて越後湯沢駅まで運転され、新幹線との接続もありますが、一部は六日町折り返しです。

ラッキーなことにゆめぞらに当たりました。しかしながら平日はトンネルに入った時のシアター上映がないです。

乗り換え時間が20分も空いているのでゆっくり撮影ができました。

つづく

高尾山駅

今日は仕事納め、明日から来年1月4日まで6日間お休みです。小田急の公式HPによると元日の臨時ロマンスカーは江ノ島行き1本のみで、仮に江ノ島へ初日の出を見に行った場合、帰りは各駅停車もしくは急行を利用しなければならず、混雑が予想されます。

そのため、数年ぶりに高尾山を検討しています。いや、ダイヤモンド富士を見るために最近行ったばかりですけどね。

 


明るさが残っているうちに高尾山駅へ戻ってこれました。あとはケーブルカーで下山するだけです。日没後、薬王院までの山道は真っ暗になるため、ライト持参が推奨されていましたが、結局はライトを使わずに薬王院まで戻れました。

薬王院から高尾山駅までは間隔が長いながらも外灯があります。

ケーブルカーで麓へ下り、高尾山口駅に着いた時は17時を回っており、夜の帳が下りていました。

準特急は入線しており、少なくなった7000系幕車です。7000系の幕車は前期製造車を中心に残っており、後期製造車との区別は先頭車の幌枠と渡り板の有無、側面がコルゲートかビートプレスの違いです。ただし、1991~1992年に6両編成の一部を8両編成にするために製造した中間車はコルゲート加工となっています。

来春のダイヤ改正で準特急が特急に統合されて消滅するため、この準特急幕もあと数ヶ月で見納めとなります。7000系前期製造車に廃車も発生しているので、貴重なカットになっていくことでしょう。

聖蹟桜ヶ丘駅まで準特急に乗車し、後は自転車で帰宅しました。

日本一の急勾配

明日は同僚の1人が休暇で代わりにやる仕事があるため、出社日です。2010年のこの日は休暇を取って新潟へ行きましたが、この年を最後にクリスマス運転がなくなり、時期が早まってしまいました。今は12月初旬になってしまいましたが、この時期では雪が降りませんし、雪景色と温泉が楽しみでした。

まあ、元相手は理由をつけて新潟でのクリスマスの誘いを断っていたので、浮気以外なにものでもありませんでしたけどね。復縁を迫ってきたことがありましたが、無視した結果フェードアウト、別れて正解でした。

 


ケーブルカーは山上に進み、終盤近くで日本一の急勾配区間に差し掛かりました。その勾配は608‰で角度にすると31度18分です。

 


608‰区間は高尾山駅手前にあります。最前部に陣取ってみるといかに急勾配であることが窺えます。車内の傾斜の変化も肌で味わうことができるのも、ケーブルカーならではの醍醐味です。

やがて高尾山駅に到着しました。下車し、まずは薬王院へ向かって歩きました。

高尾山ケーブルカー(2)

今日は冬至で、1年で昼の長さが一番短い日です。しかしながら日の出が一番遅く、日の入りが一番早い訳ではありません。日の出が一番遅いのは1月初めで6時51分、日の入りが一番早いのは11月末から12月初旬の16時28分です。

冬至の場合、日の出は6時47分で荷の入りは16時32分です。

 


すでに12月後半で多くの広葉樹は落葉していますが、まだ少し紅葉が残っている箇所もありました。温暖化の影響なのでしょうか…?

 


ケーブルカーが進むにつれ、対向列車と交換です。単線交走式になっているためです。あおば号ともみじ豪のペアになっています。

行き違い個所を過ぎると後半区間です。山上に近づくとだんだんと勾配がきつくなってきています。もちろん車両の傾斜も変化してきています。

いよいよ日本一の急勾配・608‰ももうすぐです。子供のころから何度も乗っている筈なのに、日本一の急勾配…そのわくわく感は変わっていないですねぇ…(;^ω^)

高尾山ケーブルカー(1)

明日は仕事の都合で振替出社日です。来週は29日が仕事納めなので、自動的にスライドとなります。

 


高尾山口駅から5分ほどで清滝駅に到着です。懸念されていた行列はなく、切符を買ってすぐの列車を待つことができました。

 

 
ケーブルカーは何年かぶりでしょう。いや2006年の夏にミヤマクワガタを探しにビアマウントへ行こうと乗ったから15年ぶりです。今では東北遠征時にライトトラップで飽きるぐらいいっぱい飛来してきますし(爆。

斜面を登るのですから車内も駅ホームも階段状です。車両自体には動力がなく、山頂駅にある巻上機で引き上げているのです。パンダグラフは室内灯や空調、ドア開閉のために電気を取っています。

清滝駅付近の勾配は105‰。ケーブルカーでは比較的勾配が緩く、乗ってみると前に傾いている感じです。ですが!

実はこの高尾山ケーブルカーにほ日本一の急勾配があるのです。なんと!608‰!!どこにあるのでしょう?それはお楽しみに。

予定より少し遅れて14時50分近くに発車しました。釣瓶式のため、山頂駅からも同時発車となります。

特急「リバティ会津128号」

今日は週一の出社日でした。来週は通常通りの週一出社となります。

 


レンタル品の清掃・返却、自前ライトの発送手続きを済ませ、宿泊料金の精算をしました。

9時過ぎにはチェックアウトし、友人とは現地解散、バスで会津高原尾瀬口駅に向かいました。

1時間程度で到着、土産屋で蕎麦やラーメン等を買ってから駅に入りました。この後は東武線直通特急に乗るだけです。

さっきまで晴れていたかと思えば、大気が不安定なので特急が来る頃には曇ってしまいました。対向列車がないので、停車時間は僅かです。

ホーム進入を望遠で撮った後はすぐに荷物をまとめて持ち、乗車位置へ急ぎました。

ドアが開くとすぐに乗り込み、指定された座席に座りました。10時58分、定刻通りに発車しました。北千住まで3時間の旅です。

野岩鉄道内では男鹿高原駅以外の各駅に停車、下今市まではほぼ各駅停車です。とはいえ、野岩鉄道線内の最高時速は80km/h程度ですが、山間部をトンネルで貫くように直線的に建設されているため、なかなかの走りっぷりです。

特急「リバティ会津117号」

今日で東京オリンピックが閉幕しました。次は2024年のパリオリンピックです。ですが、まだオリンピックは終わっていません。…そう、24日からパラリンピックがあります。

コロナ対策で多くの競技が無観客となりましたが、自転車競技ロードレースを生で見られただけでもよしとしますか。

 


バスまで時間があるので思案した結果、駅近くの築堤で特急「リバティ会津117号」を撮ることにしました。バスダイヤの関係で昨年の様に男鹿高原駅での撮影ができなくなったからです。先日に忘れ物しなければ、湯西川温泉駅でも撮れましたけどね。

冬以降のリベンジに取っておきますか。冬の雪景色だけでなく、早春の残雪もよさそうですね。ただし、3月上~中旬だと東京では花粉飛散が凄いですが。

13時50分過ぎ、浅草からの特急「リバティ会津117号」が来ました。ちょっと逆光気味で空が白く飛んでますね。もう少し午後遅い時間だと側面に回ってきますが、線路が南北に通っており、夏場の夕方にならないと下り列車の先頭には日が回りません。

撮り終えた後はバスに乗車し、宿へ戻りました。

会津田島にて

明日で東京オリンピック閉幕、祝日移動のため今日から3連休です。次は3年後のパリオリンピックですが、24日からパラリンピックがあります。

 


バスで会津高原尾瀬口駅へ出て、会津線に乗って会津田島駅に行きました。前回はゆっくり見れなかったのと、もう1つの目的もありました。快速「AIZUマウントエクスプレス1号」に乗り、10時39分に到着しました。

隣には東武線からの直通特急も停車していました。これに乗れば3時間10~20分ほどで浅草まで行けるのです。

 


駅周辺を散策すると、SLが展示されていました。C11254号機で、現役時代は会津地方を中心に活躍していました。会津鉄道は旧国鉄の会津線で、国鉄再建法により廃止対象となり、JRに引き継がれてわずか3か月後には第三セクター鉄道に転換されました。

会津線も只見線、日中線(1984年廃止)と並んでC11の投入線区でした。

 


南会津町の中心駅であり、駅舎は立派な造りです。お土産屋や飲食店等も入居していますが、コロナ禍のため、厳しいでしょう。

中心地とはいえ、駅周辺には大きな病院はなさそうです。会津若松へ行かないとないらしく、駅舎内には診察予約機もありました。

実は…先日の特急「リバティ会津117号」にて忘れ物をしており、引き取りもありました。駅窓口で問い合わせたらあるとのことで、引き取りました。何を忘れたかというと。捕虫網です。ライト付きですが、近年はあまり使用していません。最初から持って行かなかった方がマシでした。

帰りのバス時刻もあるため、昼食後は13時02分発の特急「リバティ会津122号」に乗って会津高原尾瀬口駅まで戻りました。

特急「リバティ会津117号」

今日は夕食後に夜間樹液観察へ出撃しようとしたら…空が雷で光ったので、すぐに引き返しました。大気の状態が不安定な模様です。

 


後続の特急「リバティ会津117号」に乗り、会津高原尾瀬口を目指しました。川治温泉と男鹿高原駅以外の各駅に停車し、会津高原尾瀬口駅に到着しました。

 


駅では八重たんと大川まあやが変わらずに迎えてくれました。

駅入り口の窓に貼られているバス時刻表を見てびっくり!次のバスが最終で、時刻はまもなく14時を回ることもあってあと10分余りしかありません。

急いでバス乗り場へ行くことにしました。