修学旅行電車「なかよし」

アメブロからWordPressへの記事移行は2017年4月分まで、3月分は写真の準備および記事のインポートまで完了しました。この分ですと、3連休中に2017年分は全てWordPressブログへ移行できる見通しです。

アメブロの廃止時期は最長で2022年3月末としていますが、あくまでも最長期間ですので…。つまり、進捗状況によっては廃止時期が早まる可能性があるため、この時期までアメブロを運営する保証はないのです。

 


館外へ出ると、167系モックアップがあります。かつて修学旅行専用電車として製作され、新幹線網の充実で本来の用途を外れて一般の急行列車にも運用されました。

急行列車が特急格上げや快速格下げ、廃止で削減されると、JR化後は修学旅行の多様化で再び修学旅行専用列車にも使用されるようになり、2003年まで活躍しました。

晩年は165系などと同じ湘南色に塗り替えられましたが、デビュー当初はイエローとオレンジの2色でした。

交通博物館に展示されていた頃は屋内でしたが、今は屋外です。冬場は寒いですが、新幹線高架下なので雨がかからないだけましでしょう。

 


鉄道博物館の入り口です。時刻はすでに15時30分を回っており、ホテルへ戻るために鉄道博物館を後にしました。

社員旅行で東京コースなのに、群馬や埼玉で日中はあまり東京にいなかったことになりますね…(;^_^A

鉄道ジオラマ

今日はランチタイムに雨がピークとなりました。新宿の京王百貨店で今年も全国有名駅弁・うまいもの大会が始まり、昼飯に駅弁を買ってきました。会期は21日までなので、期間中は会社での昼飯は駅弁になりそうです。

 


この後は2階フロアにて鉄道ジオラマへ行きました。かつての交通博物館時代も鉄道ジオラマがありましたが、当時は観客席との間に仕切りガラスがありました。

移転後も交通博物館時代と同じく、観客席との間に仕切りガラスがありましたが、2017年の全面リニューアル時に撤去されました。

まあ、ジオラマ撮影でガラスへの映り込みを気にする必要はなくなりましたが。

 


解説員が解説しながら運転しています。前日に群馬県で撮影した「四季島」もあります。これらの模型車両はHOゲージで、新幹線が1/87、在来線車両が1/80のスケールです。

HOゲージは欧米では1/87スケールが標準ですが、日本の在来線車両だと1/87では小さすぎて1/80になったのでしょう。Nゲージも1/160が標準で、日本は新幹線車両がそのままに対し、在来線車両が1/150となっているのも同様の理由でしょう。

しばらく見入ったあと、博物館を出ました。

マイテ39「富士」

今日は七草で松の内も終わりです。そして、31年前の今日は昭和天皇が崩御し、昭和時代が終わりました。翌日の1月8日から平成に改元し、昨年4月30日まで30年余り続きました。

「昭和64年」はたった7日間しかなかったですが、94年前の「昭和元年」は大正天皇が12月25日に崩御したため6日間しかありませんでした。ただし、昭和に即日改元したため、実質的には7日間といっていいでしょう。

1926年最後の1週間が「昭和元年」、1989年最初の1週間が「昭和64年」ということになります。昨春の改元で昭和、平成、令和の3つの元号を跨いだ世代になりました。

 


マイテ39展望車が「富士」の山型ヘッドマークを装着して展示されています。かつては青梅鉄道公園に展示されていましたが、荒廃したために1988年ごろ大井工場へ移送されました。鉄道博物館オープンの際、できる限りの内装の復元が行われたうえで展示されています。

戦前の特急「富士」用に製作された1等展望車で、桃山式の内装で豪華だったそうです。ただ、青梅鉄道公園から移送した当時、桃山式の内装を修復できる技術が残っておらずに復元を断念したそうです。

戦前の命名時は東京~下関間の運転で、関門トンネル開通後は長崎まで延長したのも束の間、戦争の激化で博多発着に短縮のち廃止されました。

 


ブルートレイン時代の「富士」です。1985年3月に本州内の牽引機がEF65からEF66に変更されると同時にヘッドマークも山型になりました。2001、2003年頃に静岡県下で富士山バックに撮影したことがあります。2008年3月にも富士山バックに撮影はしていますが、この頃は「はやぶさ」と併結運転になり、ヘッドマークは円形で山の麓を鳥が飛ぶ図柄だったので、ここでは割愛します。

最末期は「はやぶさ」と東京~門司間で併結運転で、分割後の単独運転区間では山型ヘッドマークは健在でした。

ブルートレインブームの世代としては、かつて「富士」が東京~西鹿児島間を日豊本線経由で24時間以上かけて結んだ日本最長距離列車であることを知っています。その走行教理はな~んと!1595.9㎞です!!この記録は今も破られていません。

ただし、日本最長距離列車だったのは宮崎短縮される1980年までで、その後は1997年まで「はやぶさ」が引き継いでいました。

寝台特急「富士」が「はやぶさ」と共に廃止されてから10年以上経ちますが、再び山型ヘッドマークを目にするとは思いもしなかったことでしょう。

最後のSL

今日から学校は冬休みです。仕事納めは明日なので、今年の稼働日はあと1日です。

 


“パック”ことEF58 89の側面を撮影した後は最後のSLの元へ向かいました。

側面から見ると、いかにつらら切りの庇が大きくて目立ちます。お召指定機の61号機は窓が大きく、つらら切りがありません。これは寒冷地・温暖地と運用線区によって分けられたのでしょう。

 


最後のSLことC57 135号機です。最後のSLと呼ばれるのは、1975年12月14日に室蘭本線でSL最後の定期旅客列車を牽引したからです。最終運転日は「さようならSL」のヘッドマークが取り付けられたそうです。

なお、最後のSL定期貨物列車はD51牽引で、10日後の1975年12月24日に夕張線(現在の石勝線の一部)でした。

よく見るとデフレクターが20㎝程度切り詰められており、北海道型の特徴がでています。ただし、同じ場所で活躍したD51ほどではないので、あまり目立っていません。

前回は転車台の上で展示され、オコジロウくんとオコミちゃんの結婚を汽笛で祝福していました。

現在は西日本で1号機が、新潟支社で180号機が動態保存されていますが、SL最後の定期旅客列車を牽引した功績は永遠に語り継がれていくことでしょう、

新幹線開業前の上野駅

今日はクリスマスで、アメリカ等の欧米諸国では祝日になっています。また、祝日だけでなく、来年1月1月までお休みで1月2日から仕事始めとなっています。日本では12月末から正月にかけて休むので、仕事始めは1月4or5日となっているので、文化の違いですね。

 


転車台から南館側には新幹線開業前の上野駅が再現されており、485系、455系、181系が展示されています。

昨年末に悪戯があり、455系では「急行」表示が「普通」表示に変えられたこともあったそうです。

新幹線開業前の上野駅は東北、常磐、北陸、甲信越方面へ向けて多くの特急や急行列車がひっきりなしに発着していました。1982年の東北・上越新幹線開業後は新幹線に変わられ、現在は寝台列車すら廃止されたうえで上野東京ライン開業によって地平ホームは寂しくなってしまいました。

現在のJRは定期急行が全廃されていましたが、急行は特急が停車しない中小都市とを結び、補完列車の役割がありました。今の特急は急行並みに停車駅が多く、常磐線の「ひたち」「ときわ」で速達タイプと停車タイプに愛称を分けているケースもあります。

 


485系特急の車内では車内販売も置かれています。ワゴンに積んでいるのはお茶、飲料水、お弁当、お土産でしょうか。

食堂車と並んで供食サービスの一環を担っていましたが、駅ナカの充実で利用客が減り、今では全廃または品目を縮小されてしまいました。

駅の売店で駅弁を買いそびれた時は助かったのですが、これからは時間に余裕をもったうえで、乗る前に弁当を買ってくれということでしょうか。

改めて時代の流れさえ感じました。

ED75

今日はクリスマス・イブ、数年前までは新潟でクリスマスを過ごすのが通例でした。SL撮影・ホワイトクリスマス、温泉を満喫するのが楽しみでした。

磐越西線のSLクリスマス運転が12月初頭に早まった今、ホワイトクリスマスのSLを望む術はありません。山口線の場合は遠いうえに冬型が強まらない限りはホワイトクリスマスは難しいでしょう。

日本ではクリスマス・イブをカップルで過ごす日と解釈されています。クリスマスを新潟で過ごした頃、元相手は理由をつけて新潟行きを拒否していましたが、本当は他に本命がいて、最初から騙すのが目的だったといわざるをえないでしょう。

雪があまり降らない地域に住む人間としてはホワイトクリスマスに憧れがあり、その一人です。クリスマスを新潟で過ごした経験は何ものにも代えがたい経験となった筈です。

 


EF66貨物列車と上野駅を模したスペースの間にはED75電機機関車が展示されています。

ED75は交流専用の機関車として、周波数に合わせて東北・北海道、九州地区に投入されました。50Hz用が東北・北海道、60Hz用が九州地区にです。国鉄末期に北海道と九州地区のものは全て廃車されたため、民営化時は東北地方にだけ残りました。

展示されているのは775号機で、ED75の完成型と言われている700番台です。国鉄末期からJR化初期にかけて、34両が青函トンネル用のED79へ改造されました。2016年3月の北海道新幹線開業で青函トンネルを含む共用区間の架線電圧昇圧でED79は全車引退(種車としての製造から40年前後経過し、老朽化も進んでいた)し、2012年には貨物列車運用からも退いているので、現在はレール輸送等の工臨やイベント列車用に数両が残っているのみです。

 


かつては寝台特急「ゆうづる」や「あけぼの」等を牽引していましたが、1997年3月を最後に寝台特急運用からは退いています。

当時、貨物列車の時刻表を買っていなかったので、偶然に撮るしかなく、走行写真は青森口での寝台特急「北斗星」と急行「はまなす」のED79を除けば、イベント列車しかありません。

撮影した当時は旧客を牽いていたので、ヘッドマークと最後尾の逆向きSLを除けば、古きよき時代を偲ぶことができるだけよしとしましょう。

貨物列車

今日は昨年まで天皇誕生日でしたが、今年は皇位継承があったため平日になりました。“上皇誕生日”ですが、二重権威防止のために祝日にはなりませんでした。かつての上皇・天皇の関係は二重権威の象徴だったそうです。

30年前に昭和天皇が崩御した時、天皇誕生日だった4月29日が祝日のまま残されたのは、昭和天皇が植物学者だったことと、GWの一環だったという事情があるそうです。

 


EF66の11号機が貨物列車と連結された状態で展示されています。貨物列車は物流の一環を担い、ライフラインともいえます。

例えば北海道から玉ねぎやジャガイモなどの農産物が運ばれてきたり、首都圏から全国各地へ雑誌類も輸送されてきます。

今では貨物列車はコンテナ輸送が主流ですが、タンク車による石油輸送もあります。2011年3月の東日本大震災発生後、日本海側を経由して被災地へ灯油やガソリン等の石油列車が運転されたりもしました。

展示されているEF66は前期型で、運転室窓上の庇がありません。後年の更新工事では前期型にも庇が取り付けられています。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線藤沢~大船間にて・2008年3月23日撮影

10年以上前に撮影しましたが、国鉄民営化時にJR西日本が継承したのは40~55号機の16両で、全て後期型です。EF66の0番台は大きく分けて前期型と後期型に分けられ、後期型は新製時から運転室窓上に庇があります。

現在、EF66の0番台で稼働中なのは27号機だけとなりましたが、新製時から庇があります。

EF210への代替で稼働しているのは27号機とJR貨物が新造した100番台だけになりましたが、見られる機会があるうちに走行写真を撮っておきたいものです。

1号機関車とマレー式機関車

今日は冬至で、1年の内で夜が一番長い日です。例年なら関東は晴れのことが多いですが、今年は曇りで夜には雨となってしまいました。かぼちゃとゆず湯で冬至を実感できただけよしとしましょう。

アメブロからのブログ記事移動は2017年10月分まで終わりました。残るはあと4年分です。アメブロから全ての記事を移動し終えた後に廃止時期を決める手はずとなっていますが、2013年1月からとするか、楽天からアメブロへ移動した2013年10月からとするか考えないといけません。過去の遠征記事をHTMLにまとめる必要も出てきそうですし。

 


EF58の向かいにはマレー式機関車の9850形SL展示されています。現在の御殿場線等、勾配路線用にドイツから輸入されましたが、構造が複雑で早期に引退しました。交通博物館時代から内部の構造が分かるように切開されており、撮影したのは切開されていない方です。

 


続いては1号機関車です。新橋~横浜間の鉄道開業時にイギリスから輸入されたSLです。鉄道記念物であり、1997年に鉄道車両で初めて国の重要文化財にも指定されました。

この他にもSLが何両か展示されていますが、C57以外撮影してませんでした。。。鉄道黎明期は外国から輸入しており、イギリス、ドイツの他にアメリカからも輸入されています。

この後は再び車両ステーションの中に戻りました。

5年ぶりのEF58 89

アメブロからの記事移行を再開、第一陣として2017年12月21~31日分を移しました。代替として、アメブロの当該期間の記事は削除しました。最長で2022年3月末のアメブロ廃止に向けて一歩前進しました。

楽天ブログの時は2013年9月末で更新停止⇒12月末に削除したので、実質的にアメブロの更新期間は最長で残り2年しかありません。

 


“パック”ことEF58-89の前では学芸員の人が遠足での小学生の前で説明をしていました。この日は金曜日で平日ですが、遠足で小学生の団体が来ることもあるので、人出は多かったです。

このEF58-89はつらら切りを備えています。20年以上前はお召機の61号機とともにイベント列車牽引で活躍する姿を撮影したことがありました。

しかし、経年劣化による車両故障で1999年に廃車となってしまいました。従いまして、現役時代に撮影した写真は少ないです。特に1996年秋、現在のしなの鉄道区間を含む信越本線を走った時はファンを驚かせました。

現役時代は茶色塗装だったので、往時をしのぶことができるのは喜ばしい限りです。

つづく。。。

鮮魚貨物列車

最近のアメブロへのアクセス数減少を受け、2020年1月から3月まで毎週木曜日はアメブロ更新を休止することにしました。ただし、WordPress側はこれまでどおり毎日更新します。アメブロからの転移が進んでいるとの判断からです。

実施期間については改めてお知らせします。

アメブロは「最長で2022年3月末まで」としますが、これ以降の延期はしない方向です。あと2年余りでも、ブックマークの変更はお早目にお願いします。かつての楽天ブログからアメブロに移行した時は2013年9月末の更新停止後、3か月後の12月末にはブログを削除しました。したがって、アメブロの更新も最長で2021年12月末までとみてください。

 


南館から本館へ戻ってきました。まずは鮮魚貨物列車です。

 


鮮魚貨物列車とは、文字通り鮮魚を運ぶ貨物列車です。九州や山陽から大消費地である関西や東京へ鮮魚を運ぶために活躍しました。

この貨車は鮮度を保つため、冷蔵車になっています。貨車の中が巨大な冷蔵庫なのです。また、直射日光が当たることによる温度上昇を抑えるため、白に塗られています。

人形を使って鮮魚を積み込む様子が再現されています。鮮魚貨物列車は国鉄末期に全廃されたため、JR貨物には承継されていません。

 


展示されているのは、「レムフ10000形」という貨車で、車掌室を備えています。昔は貨物列車の最後尾に車掌車が連結されていましたが、国鉄末期の合理化で1人乗務化が進み、今は控車などで連結されているにすぎません。

トイレも備えてあり、車掌さんはどんな仕事をしていたのでしょうか。

つづく。。。