在りし日の寝台特急「富士・はやぶさ」【九州編】

昨日紹介したのは、東海道線内での写真でした。1999年12月~2005年2月まで「さくら」と「はやぶさ」が併結運転していた時は、九州内も併結ヘッドマーク付きで、全区間単独だったのは「富士」だけでした。

「さくら」の廃止で「富士」と「はやぶさ」が併結運転になると、併結ヘッドマークは本州内のみで、山の麓を鳥が飛ぶデザインのヘッドマークで、九州内は単独ヘッドマークでした。

廃止になる前年の11月、3連休を利用して九州へ行ってきました。九州内での写真を紹介します。ただ、あまり天気には恵まれませんでしたが…。

 


※寝台特急「はやぶさ」/鹿児島本線長洲~大野下間にて・2008年11月2日撮影

初日は熊本へ向かい、2日目に大分へ移動する日程でした。「はやぶさ」の単独ヘッドマークは鳥の部分が緑色で、子供の頃にブルートレインの絵本で見たのとは違います。本州内でEF65→EF66が付けていたのは鳥が灰色でした。

 


※寝台特急「富士」/日豊本線立石~中山香間にて・2008年11月3日撮影

併結運転に伴い、本州内では山型のヘッドマークは見られなくなりましたが、単独運転となる九州内では健在でした。

しかし、分割後の6両編成では、凋落ぶりが顕著になった感じが否めませんでした。JR発足当時の1/4に利用が減少し、末期は平均乗車率が20%だったそうです。6両編成での定員を155人程度と仮定すれば、30人余りしか乗っていないことになります。

編成内容も乗りたいとは思えない程で、撮影に行く時は新幹線利用でしたし。

九州新幹線鹿児島ルートの全線開通も近づき、車両老朽化も進んでいたことから、もういつなくなってもおかしくないとは思っていました。

鉄道模型では最もよく売れたのがブルートレインシリーズでしたし、「北斗星」完全廃止後は心にぽっかりと穴があいたような気持でした。

今ではこれまで撮りためた写真を機会があれば紹介し、模型で在りし日を偲ぶことにしますか。

在りし日の寝台特急「富士・はやぶさ」(2)

今日は日中、南から暖かい空気が流れ込んだ影響で、春並みの陽気でした。明日は立春、暦の上では春となりますが、関東で雪が降る予報です。積雪の恐れもあるので、雪が積もれば明後日は特雪出動になるでしょうか?

今日も在りし日の寝台特急「富士・はやぶさ」の写真紹介です。

 


※寝台特急「はやぶさ」/鹿児島本線植木~田原坂間にて・2008年11月1日撮影

2008年11月1日に植木~田原坂間で撮影した寝台特急「はやぶさ」です。この場所は2000年と2001年(いずれも7月)に撮影しており、7年ぶりの訪問ということになります。

人身事故で熊本到着が遅れたため、ホテルにはすぐチェックインせず、荷物をコインロッカーに預けてからきっぷを買い、普通列車で植木へ向かいました。

しかし、寝台特急「はやぶさ」通過まで時間に余裕がなく、小走りで撮影地へ向かいました。撮影地に到着後、素早く三脚とカメラをセット。16時10分近く、東京行きの「はやぶさ」が通過しました。

九州とはいえ、11月になると17時27分と日没は早くなっており、晴れていれば夕陽に照らされている筈でした。

折しも曇ってしまい、夕陽に照らされた写真とならなかったのが残念です。撮影後、駅に戻る途中で天気が回復しましたが、天気は気まぐれゆえになかなか思い通りの写真が撮れないこともあります。

2000年と2001年に撮影した時は客車が電源車を含めて9両だったのですが、14系客車になり6両に編成が短縮されたのも、利用客減少の現れで、一抹の寂しさはぬぐえない感じがありました。

 


※寝台特急「富士」/日豊本線大神~杵築間にて・2008年11月2日撮影

3連休中日の11月2日は大野下で「はやぶさ」を撮影した後は久留米から久大本線の特急「ゆふ」で大分に出て、別府へ移動しました。

予約したホテルが駅前なので、ホテルにチェックインした後は荷物を置いてから電車で杵築へ向かいました。

撮影地は杵築駅からあまり離れておらず、橋梁を渡るところを撮ろうと考えていました。

ところが…!!曇っているだけならまだしも、近くの畑で野焼きをやっており、煙で視界不良の状態でした。

AFは効きにくいため、ピント合わせには苦労しました。17時10分過ぎ、東京行きの寝台特急「富士」が通過しました。日没近い時間のため、曇っていたとはいえ、蒼い時間への移行の雰囲気が撮れたのはよしとしましょうか。寝台列車の撮影は明るい時間だけではなく、日の出または日没前後の蒼い時刻に撮るのも違った表現があるものです。

フィルム時代だったらこのような写真は撮れなかったかもしれませんが、現在はデジタルなので電気的に感度を上げることができ、ISO感度も現在は25600とか51200、102400といった超高感度も出現しています。

デジタルカメラの出現は写真表現の幅を広げてくれたといっても過言はないでしょう。来週の秋田遠征では夜明け前の「あけぼの」撮影も考えているので、寝台列車が少なくなっていく昨今、新たな視点での撮影にチャレンジしていきたいです。

在りし日の寝台特急「富士・はやぶさ」

数日前、「鉄道ホビダス」等のサイトによると、熊本に長い間留置されていたブルトレ客車が小倉へ回送されたそうです。2009年3月まで寝台特急「富士・はやぶさ」に使用され、その後はしばらく九州内でのリバイバル列車に使用されていました。

リバイバル列車の運転が終了して数年間、保留車として残っていましたが、今回の回送は廃車回送で、このまま廃車解体となる公算が強いです。写真を見た限りでは、色褪せて錆も多かったです。

現役時代を偲んで、在りし日の写真を紹介します。旧ブログで掲載はしましたが、アカウント削除で消えたため、こちらで改めて紹介ということになります。

 


※寝台特急「はやぶさ」/鹿児島本線長洲~大野下間にて・2008年11月2日撮影

まずは2008年11月2日に鹿児島本線長洲~大野下間で撮影した寝台特急「はやぶさ」です。寝台特急「富士・はやぶさ」の廃止まであと4か月となった2008年11月、3連休を利用して九州まで撮影に行きました。

私は「飛行機恐怖症」なので、途中の博多まで新幹線利用し、1泊目は熊本、2泊目は別府という行程でした。

初日は鹿児島本線内の人身事故で特急が遅れ、熊本到着も当然遅れました。田原坂での上り列車撮影が危ぶまれましたが、なんとか撮影はできました。翌日は久大本線経由で別府へ移動するため、久留米へ向かう途中の大野下で途中下車して撮影した一コマです。

大野下で撮影するのは2001年以来7年ぶりで、この日が九州内での「はやぶさ」最後の撮影となりました。2005年に「富士」と併結運転になった際に復活した単独ヘッドマークは、1999年までのものよりも一回り大きく、隼の色も違っていました。

 


※寝台特急「富士」/日豊本線立石~中山香間にて・2008年11月3日撮影

最終日の11月3日、普通列車で立石まで行き、タクシーで藤田踏切へ向かいました。確か、ダイヤの関係で歩きだと間に合わない可能性があったため、ホテルでフロントにお願いしてタクシー予約した覚えがあるような…f(^_^;

しかし、寝台特急「富士」を九州内で撮れたのですから結果オーライでしょう。本州内が併結運転になったとはいえ、門司で分割併合すると同時に機関車も交換するため、九州内では単独ヘッドマークが見られました。

撮影後は普通列車に乗り、宇佐で特急「ソニック」に乗り換えて小倉へ向かい、新幹線で帰京しました。

子供の頃は九州寝台特急は憧れの的でしたが、中学生になった頃には丁度、青函トンネルの開通が近づいたこともあって、北海道寝台特急へ憧れの的が移ったのも事実です。

民営化直前には博多「あさかぜ」がグレードアップしたこともあり、「スーパー・ブルートレイン」と呼ばれていてまだ憧れの的ではありましたけどね。。。

しかし、北海道方面の豪華列車とは違い、その後は食堂車営業廃止、統廃合の繰り返しと衰退の道を辿り、遂には2009年3月には全廃されてしまいました。

東日本・東海・西日本・九州の4社にまたがって走るため、各社の考え方に違いはあったのも当然ですが、抜本的なてこ入れさえなかったのも分割民営化の功罪ともいえなくもないです。

現在はクルーズトレイン「ななつ星in九州」が受け継いでいますが、寝台列車が都市間列車としての役目をほぼ終えた現在、これからは「鉄道の旅を楽しむ列車」としてその形を変えていくことでしょう。

14日夜の秋田遠征まで撮影がしばらくないので、まだまだ過去の写真を紹介していきます。