700系新幹線の思い出

一昨日のラストラン予定が新型コロナウイルス感染対策のために中止、1日が実質ラストランとなった東海道新幹線の700系。最後に東海道新幹線を利用したのは2009年11月だったので、10年以上乗っていないことになります。

1999年3月のデビュー時は「アヒル新幹線」等と話題になりました。JR東海とJR西日本が共同開発した新幹線電車で、300系と500系の合いの子ともいえます。最高時速は285km/hに抑えられていましたが、東海道・山陽新幹線では最も多く利用した車両でした。

2009年4月、下関でいわゆる合コン…オフ開催のために帰省した時の写真の一部ですが、紹介します。

 


2009年4月25日、1987年8月以来22年ぶりとなる下関帰省では「のぞみ」と「ひかり」で2種類の700系を乗り継ぎました。

2003年10月の品川駅開業で「のぞみ」が大増発され、電光掲示板には「のぞみ」ばかりが表示されています。その代わりに「ひかり」は半数以上が削減され、1時間2本となっていました。

それでも新大阪発着が半数以上ですけどねf(^_^; それだけ東京と大阪の往来がかなり多い証拠ですが、輸送力がひっ迫しているので、北陸新幹線や中央新幹線によるバイパスも必要な状況には変わらないですが。

 


東京駅8時23分発の「のぞみ211号」でまずは新大阪まで行きました。広島または博多発着の長距離列車だと混雑が激しいので、あえて新大阪行の東海道新幹線内列車を選びました。

乗車したのはC3編成でJR東海車です。1999年2月に製造された1次車で2013年2月に廃車となりました。運用期間は14年でしたが、新幹線車両は高速運転だけでなく、金属疲労も早いので平均寿命が15年程度なのです。東海道・山陽新幹線だと、東京~博多間を片道1000km以上往復しているのですから、13年程度と短いです。

博多まで往復した翌日は東海道新幹線内完結列車に充当したりと、運用の工夫等で関係者の苦労は絶えなかったことでしょう。このことは北海道新幹線が札幌まで延伸する2030年以降、東北・北海道系統でも起こりうると思われます。

逆に東日本の新幹線車両はと、2002年12月に東北新幹線が八戸延伸するまで長くても東京~盛岡間(ミニ新幹線となる山形・秋田は含まない)で500kmぐらいでしたから走行距離も短く、車両寿命が長かったのです。

この当時、製造後10年経過していましたが、それから4年後に廃車されるとは思ってもいませんでした。

 


2時間半程度で新大阪に到着、「ひかり559号」に乗り継ぎました。新下関に停車する「ひかり」は1日4往復程度だったので、停車する列車に合わせて選んだのです。

「のぞみ」で広島まで行き、「こだま」に乗り換えてもよかったのですが、2009年当時は山陽新幹線内でまだ100系が走っており、最高時速は220km/h。当時「のぞみ」で走っていた500系と最新鋭のN700系は300km/hで、当然ながら速度差は80km/hも大きく開いています。
「こだま」に乗ると、ほとんどの駅で「のぞみ」「ひかり」の退避を強いられて時間がかかりすぎます。

あえて新下関停車の「ひかり」を選んだのは、普通車指定席が2-2列でグリーン車並みに快適という点もあります。

広島までは「ひかり」の標準的な停車駅で、広島~小倉間で停車駅パターンを変えているのも見逃せません。大半が新山口に停車しますが、徳山のみ停車、徳山・新山口連続停車、新下関停車のパターンが少数ながらありました。

JR東海車と塗装は異なりますが、同じ700系です。JR東海は「のぞみ」に優先投入、JR西日本は山陽新幹線内の「ひかり」に投入してテコ入れを図るという考えでした。後に、JR西日本も東京直通用に100系「グランドひかり」の代替でB編成を投入しました。

結果的に5時間程度で新下関に到着、到着後は迎えに来てもらいました。かつて0系で京都以西各駅停車の通称”ひだま”で7時間かかったことを考えると、2時間近くのスピードアップは大きく、隔世の感がありました。

この時乗車したのはE6編成、2000年4月製造でまもなく20年になります。新幹線車両の平均寿命である15年を越えてまだ現役なのは、山陽新幹線内だけの運用で、走行距離が片道最長で560km程度と短く、九州新幹線全通後は「こだま」中心に運用されています。現在は「こだま」がほとんどなので、車両寿命が延びる要因になったのは皮肉なものです。

東海道新幹線から引退しても、山陽新幹線ではもう暫く走り続けるでしょうし、N700系や九州新幹線800系にも血脈は受け継がれていくのです。まだ話足らないところもあると思いますが、また別の機会に。

全廃から10年、九州ブルトレメモリアル(1)

今日で九州ブルトレが全廃されて10年になります。10年ひと昔といいますが、最後まで残った寝台特急「富士・はやぶさ」が終着駅に到着した時点で九州ブルトレの歴史に幕が下りました。

2000~2004年までは九州へも出向いて撮影もしていますが、フィルム時代で点数も多いので、まずは末期の本州内からメモリアルとして紹介します。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線三島~函南間:2008年3月22日撮影

富士山バックに東京へ向かう寝台特急「富士・はやぶさ」です。単独運転時代から「富士」と富士山のごろ合わせで撮影してきましたが、廃止が1年後に決まりファンが殺到してまともに撮れなくなる前に撮っておこう…と訪れました。廃止まであと1年だというのに、すでに数人のファンが訪れていました。

富士山バックでは最後のワンカットになりました。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線藤沢~大船間にて:2008年3月23日撮影

藤沢駅から東京方へ1kmほど先にある踏切跡から撮影しました。急行「東海」⇒特急「東海」撮影で何度も訪れた撮影地です。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線平塚~茅ヶ崎間:2009年1月12日撮影

茅ヶ崎駅から平塚方へ1.5kmほど行った先の踏切から撮影しました。廃止まであと2か月余りとなりましたが、撮影者は私の他に1人しかおらず、静かに撮影ができました。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線沼津~三嶋間:2009年3月7日撮影

天気予報を信じて富士山バックを狙おうと試みましたが、生憎雲が多く富士山が隠れてしまいました。独立峰の撮影の難しさを思い知らされたカットとなりました。雲1つなくすっきり晴れていれば、富士山が綺麗に収まったことでしょう。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線川崎~鎌田間:2009年3月14日撮影

遂に迎えた最終日、この日は廃止を惜しむのかのように朝から雨が降っていました。しかし、途中の大雨規制で1時間半も遅れ、最後のワンカットとなりました。

 

九州ブルートレインは青函トンネルが開通して「北斗星」がデビューするまで、憧れのブルートレインでした。ブルトレブームの頃、寝台特急「富士」が日豊本線経由で東京~西鹿児島間を24時間以上かけて走破した日本最長距離列車だったことも一因でした。

寝台特急「北斗星」は豪華路線を取っていたので、憧れの的はそちらに移ってしまいましたが、九州ブルートレインには長い伝統があり、根強いファンがいたのも確かです。

結果的には先細り傾向をたどってしまいましたが、最後までその雄姿を収められたのも、子供の頃の憧れは失っていなかったといえるでしょう。

「はやぶさ」は東北・北海道新幹線へ、「さくら」「みずほ」は山陽・九州新幹線へ、それぞれ新幹線へ愛称が受け継がれましたが、寝台特急時代があったことを忘れてはなりません。それが、ブルトレブームを経験したファンの使命でもあります。

2016年山北桜

今日は今朝早く、山北へ桜の撮影に行ってきました。山北は2012年以来4年ぶりですが、ここ数年は花曇りだったり、他方面も重なって撮影の機会に恵まれませんでした。

 


※60000形特急「あさぎり2号」/御殿場線谷峨~山北間にて

「あさぎり1号」に間に合うべく現地に着いたのですが、肝心の通過予定時刻を忘れ、撮り逃すという失態を犯しました…_| ̄|o

2号まで待ち、撮影しました。8年前もほぼ同じ構図で撮りましたが、枝が伸びた様に感じます。

 


※313系普通列車国府津行き2536M/御殿場線山北駅にて

帰りの電車の駅進入をホーム端から撮影しました。かつて東海道本線の一部だった名残りで無駄に構内が広く、ホームも長いので、撮った後は100メートル程ホームを走る羽目になりました。

何とか間に合いましたが。山間で平野部より見頃が遅かったのが幸いでしょうか。これから桜はヤマザクラ、八重桜へと移ってゆきます。

8年前の山北桜

今日は朝から雨が降り、満開から数日経った桜は花が散りました。明後日の土曜日は山北へ行く予定ですが、町のHPによるとまだ持っているみたいです。

8年前の2008年に撮影した山北での「あさぎり」の写真を紹介します。

 


※20000形特急「あさぎり4号」/御殿場線山北にて・2008年4月6日撮影

 


※371系特急「あさぎり3号」/御殿場線山北にて・2008年4月6日撮影

2枚とも同じ日に同じ場所で撮影しています。この日はまず御殿場で富士山バックに1・2号を撮影した後、山北へ移動して撮影するいうハードスケジュールをこなしていました。

土曜日は晴れる予報ですが、ウェザーニュースでは雲が多い予報です。新聞や他メディアと予報が異なるのも気かがりです。

富士山の日

今日2月23日は「富士山の日」で、FB友の多くがが富士山バックの写真を投稿していました。私も便乗して投稿しました。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線三島~函南間・2008年3月22日撮影

FBに投稿したのは、寝台特急「富士・はやぶさ」の写真です。この時点では「はやぶさ」と併結運転になりましたが、単独運転の頃は山型のヘッドマークが特徴で、富士山との語呂合わせで撮影してみたい一コマでした。

もちろん、単独運転の頃にも撮影していますが、銀塩だったのでスキャンしない限りUPはできません。

子供の頃、九州ブルトレは憧れの的で、かつて「富士」は日豊本線経由で東京~西鹿児島(現・鹿児島中央)間を24時間以上かけて走破していました。

しかし、バブル崩壊以後は凋落傾向に歯止めがかからず、2009年3月をもって全廃になるとは誰もが思ってもいなかったことでしょう。

もうすぐ廃止から7年が経ちますが、かつて日本にブルートレインが走っていたことを後世に語り継ぐのが私達鉄道ファンに課せられた使命ともいえるでしょう。

懐かしの東海道新幹線100系

今日は台風が進んでいる影響で前線が活発化し、雨の一日でした。午前中にはLUMBERJACKへ行き、レンタルBOX内のクワガタ餌交換及び利用料金の支払いをしました。

 


※100系「こだま404号」/東海道新幹線掛川~静岡間にて・1999年8月8日撮影

引退間近の0系を駅間走行写真した1999年8月8日には他車種も撮っています。この中から第2世代である100系の写真を紹介します。

100系は国鉄末期の1985年、「ニュー新幹線」と銘打って登場したフルモデルチェンジ車で、2階建て車両が目玉でした。1986年から量産が開始され、1992年まで66編成1056両が製造されました。

撮影した当時、東海道新幹線では高速化が進み、100系は「こだま」が中心となり、「ひかり」は停車駅が少ない列車中心になりました。

写真はX編成で国鉄時代に7編成が製作されました。東京~博多間通しの「ひかり」中心に充当されましたが、前年の1998年10月改正で撤退、東海道新幹線内の「こだま」専用になり、食堂車は営業を終了してしまいました。

 


※100系「ひかり102号」/東海道新幹線掛川~静岡間にて・1999年8月8日撮影

こちらはJR西日本が製造したV編成で9編成が製造され、「グランドひかり」の愛称があります。2階建て車両を4両連結し、先頭車のノーズ下には外気取り入れ口が特徴でした。山陽新幹線内に限り最高時速230km/h運転でした。

 


※100系「こだま417号」/東海道新幹線静岡~掛川間にて・1999年8月8日撮影

〆はG編成です。8号車の食堂車を2階はグリーン車、1階はカフェテリアに置き換え、50編成が製造されました。また、一部編成がJR西日本へ譲渡されています。

「のぞみ」と「ひかり」「こだま」は最高時速が50km/hも違うのは勿論ですが、「のぞみ」の直前に東京駅を発車した「ひかり」が、高加速と高速度を活かして退避駅まで逃げ切るには「のぞみ」と同型車両でなければこなすことができないのです。

0系や100系は最高時速が220km/hと遅く、東海道新幹線の過密ダイヤでは次第に足かせとなっていき、「こだま」に回されたのち廃車が急速に進む結果となったのです。

すでに300系さえも消え去ってしまったので、新幹線の世代交代が早いことを実感させられるだけでなく、今では貴重なひとコマです。

懐かしの東海道新幹線0系

昨日に引き続き、新幹線50年ネタです。今日は今から15年前に撮影した0系新幹線の写真を紹介します。

ノストラダムスの予言で「恐怖の大王」が降ってくると騒がれた1999年、この年の9月18日をもって0系が東海道新幹線から引退しました。8月9~16日まで夏休みを取得し、前後の土日にあたる8月8日に静岡県へ撮影に行きました。

撮影地に選んだのは静岡~掛川間にある牧の原台地です。

 


※0系「こだま464号」/東海道新幹線掛川~静岡間にて・1999年8月8日撮影

この年の3月改正で0系「こだま」は2往復に減少し、新大阪を起点とする運用となったため、東京駅では午後しか見られなくなっていました。

晴れてはいましたが、雲の流れが予想以上に早く、トンネル側が雲に隠れた格好の写真となりました。

しかし、さすがは新幹線。0系や100系でも最高時速220km/hは出ていました。200km/h以上の弾丸を受け止めるようなもので、生半可な気持ちでは写し止めることはできません。駅間走行中の新幹線を本格的に写し止めた一コマです。

 


※0系「ひかり321号」/東海道新幹線静岡~掛川間にて・1999年8月8日撮影

午後になると太陽が西へ移動するのと、新大阪へ向かう「ひかり」を撮るために場所を移動しました。

0系の引退を記念して0系「ひかり」が運転されるためで、静岡県まで行ったのは茶畑の中を走る写真を撮りたかったからなのです。

JR東海からはすでに食堂車組み込みの「ひかり」編成は消滅しており、「こだま」用のYk編成だけとなってしまいました。

食堂車はないものの、ビュフェとグリーン車を組み込んだ16両編成で東海道新幹線を駆け抜けるのは、日本の大動脈を担う重責そのものでした。子供の頃はブルートレインと共に憧れの的であり、食堂車やビュフェでスピードメータに見入っていたのも思い出です。

新幹線を本格的に撮り始めたのもこの頃からですが、新幹線への憧れの原点は0系にあったのです。

新幹線50年を記念し、TOMIXやマイクロエースから0系の新製品が発表されていますが、機会があれば思い出の品として模型を入手したいものです。

日付ネタで…

今日は6月6日ということで、日付ネタとして「66」を探してみました。「66」で思い出したのがEF66ということで、寝台特急「富士・はやぶさ」の写真を紹介します。

2005年3月改正で寝台特急「あさかぜ」と「さくら」が廃止され、「富士」と「はやぶさ」が併結運転となり、2009年3月に廃止されるまで最後の東海道ブルトレでした。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線三島~函南間にて・2008年3月22日撮影

廃止前年の2008年3月22日に有名撮影地の“竹倉”にて富士山バックに撮影しました。廃止まであと1年足らずでしたが、すでに数人のファンが集まっていました。

運転席に日が差し込み、運転士が写りこんでいますが、よく見ると概ね40代以上のベテランにみえます。これは、JR東海が機関士の養成を行っておらず、国鉄時代に免許取得した人が定年等で辞めて減ったためです。

JR化後、20年以上経過していますから当時20代だった人は当然40代以上になっています。ていうか、そんな私ももうすぐ40代になりますが。

表向きは「利用客減少と車両老朽化」ですが、JR東海管内での機関士不足も背景にあったのです。この日に撮影した写真が富士山バックの最後のカットになりました。

「富士」単独時代に撮影した富士山バックの写真もありますが、またの機会に。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線藤沢~大船間にて・2008年3月23日撮影

富士山バックに撮影した翌日は藤沢でオードソックスに編成写真で撮りました。前日の富士山バック地点と違い、こちらは私以外撮影者は皆無でした。

銀帯と白帯が混在し、金帯と白帯の混成となった「あけぼの」や「日本海」同様、ばらばらな帯の色に現状が見えている様でした。

ステンレスの銀帯車だった14系15形客車も一部が白帯化されており、A・B個室車は銀帯のままだったので、銀または白で統一された編成になることはなかったです。

趣味的には模型ファンがバリエーション展開で喜びそうですが…( ´艸`)

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線平塚~茅ヶ崎間にて・2009年1月12日撮影

茅ヶ崎駅から大阪方へ1.5kmほど行った踏切から撮影しました。結果的には機関車アップで撮影した最後のカットとなりました。

最終日の3月14日、多摩川の六郷土手で撮影していますが、編成全体のアップではありませんので、今回は掲載を差し控えさせていただきます。

長い間、ブルートレインの花形だった東京~九州ブルートレインでしたが、今から30年以上前、私が子どもの頃は憧れの的でした。

国鉄分割民営化で4社にまたがって走るため、各社の思惑の違いにより、何らかのテコ入れがされなかったのは誠に残念です。

2000年には1987年以来13年ぶりに九州訪問し、2004年まで夏の恒例行事として撮影したのが遠い昔の様に思い出されます。

青函トンネル開通以後、私のブルートレインへの憧れの的は「北斗星」に移ってしまったうえ、模型でも九州ブルトレを再現する考えはありません。

模型で九州ブルトレを再現する考えがないのは、「はやぶさ」「さくら」「みずほ」が新幹線の列車名になったことも一因ですが。

1999年末から翌年にかけて「さくら・はやぶさ」編成を作ったことがありますが、これは車両を新たに買い足さず、それ以前に「はやぶさ」「富士」共通として買ってあった車両を組み換えし、「さくら」用の14系は帯色変更等の改造で済ませたものです。

すでに2004年末に親戚の子供に譲ったので、今は所有していませんし、模型でのブルトレ収集対象は北行きのみなので買う予定もありません。

模型で再現する考えはなくても、残った写真を紹介することで後世に伝え、今は静かにその功績を称えることにしましょう。

新旧「あさぎり」と田植えの季節

今日から5月です。明後日から6日までGW後半&2ndですが、セカンドステージ初日の明後日は寝台列車の撮影です。明日までブログネタがないので、過去の写真を交えてその写真について語ろうと思います。

 


※371系特急「あさぎり2号」/御殿場線御殿場~足柄間・2011年4月30日撮影

 


※60000形特急「あさぎり2号」/御殿場線御殿場~足柄間・2012年5月13日撮影

2点の写真はいずれも小田急線~JR御殿場線直通の特急「あさぎり」で、車種こそ変わっていますが、いずれも同じ撮影地です。

御殿場線で富士山バックに「あさぎり」号を撮影できる定番撮影地であり、富士山を最も大きく撮影できます。マイクロエースから発売された371系のNゲージで「富士山に最も近い特急!」と謳っているのがわかります。

2点掲載したのは、車両の新旧だけではありません。

この辺りは開けているだけでなく、田んぼも広がっています。概ね4月下旬ごろには田おこしし、その後はGWにかけて水が入るのです。

ところが、この2点の写真を見比べてみると、60000形「あさぎり」を撮影した頃は5月中旬になっても田んぼに水が入っていませんでした。この年は冬が寒かった影響もあったのかも知れません。

 


※371系特急「あさぎり2号」/御殿場線御殿場~足柄間・2008年5月6日撮影

参考までに今から6年前の2008年5月8日に撮影したものですが、この時は田んぼに水が入っていました。

これから田植えシーズンを迎えるにあたり、水田の水鏡を狙うファンもいますが、田植えが始まる前で水が十分に入っている期間は意外と短いのです。

連休後半では寝台特急撮影テーマの一つとして、「田植え前の水鏡」です。狙いは「カシオペア」「北斗星」ですが、“当面存続”とはいっても、北海道新幹線開通時にはどうなるかは分からないので、撮れるうちに撮っておこうと決めています。

ただやみくもに撮るのではなく、季節ごとのテーマを決めて撮る方がいい記録になるのではないでしょうか?昨年11月に「ブルトレ全廃」の“フライング報道”以来、そう思うようになってきています。