三島駅1番ホーム

今日は令和になって2度目の天皇誕生日でした。一昨年の皇位継承で天皇誕生日が12月23日から2月23日に移動したため、令和では2月に祝日が2日あることになります。

好天に恵まれましたが、花粉の飛散量も多く、在宅時も花粉症に悩まされました。

 


三島駅に到着後はJR線乗り換えです。きっぷはJR線連絡きっぷを買っていたので、乗り換え改札を通るだけです。

1番線はホームが抉られている箇所があります。ホーム途中に伊豆箱根鉄道への連絡線として分岐器が設置されており、特急「踊り子」直通運転の際、建築限界に抵触しないようにしているのです。

現行の185系は20m級ですが、後継のE257系は21m級となっています。車体が伸びた分、そのままでは建築限界に抵触する可能性があるため、乗務員ハンドル訓練前に改修したのでしょうか?

強風のため、熱海行きの電車が3分程度遅れ、熱海でJR東日本、小田原から小田急線に乗り継いで17時半ぐらいに帰宅しました。

これにて「踊り子」撮影の報告は完結です。

熱海駅分割作業・2

今日は日中暖かい1日でしたが、花粉が非常に多く飛んでいました。そのため、空気清浄機を出しました。

 


狭い空間での分割作業は非常に大変なものです。伊豆急下田行きの発車は10時23分。わずか3分の間に済ませなければなりません。

 



ジャンパ栓を10号車側に収納し終えると、突然付属編成側のドアが閉まりました。電気的にもそれぞれ独立したので、11号車の前照灯が点き、少し後退しました。交代後は再びドアが開きました。

 



10時23分、伊豆急下田行きが先に発車しました。伊東までは伊東線で、引き続きJR東日本管内を走ります。

見送った後は再び乗り込みました。10時25分、修善寺へ向けて発車しました。三島まではJR東海管内を走ります。東海道本線は東京~熱海間がJR東日本、熱海~米原間がJR東海、米原以西がJR西日本の3社に跨っており、全線の6割近くがJR東海管内です。

三島までは途中、函南駅がありますが特急は通過、15分ほどで三島駅に到着しました。ここから伊豆箱根鉄道へ乗り入れます。

懐かしの寝台特急「富士」

今日は急な出社要請により出社しました。…が!出社時に利用している小田急線が代々木上原駅での信号機故障で運転見合わせとなり、急遽京王線で振替ましたが、10分ぐらい遅れて会社に到着しました。

 


※寝台特急「富士」/東海道本線三島~函南間にて・2003年3月9日

今日の様に雨上がりの翌日は富士山がすっきり見えました。前日の雨が空気中の塵を洗い流すためです。撮影当日は2日前に雨が降っていましたが、翌日の東京での最高気温が15.1度と高かったので翌日にしていました。

寝台特急「富士」と富士山の組み合わせは撮影したかった一コマで、山型ヘッドマークと富士山の組み合わせは絵になっていました。

ブルートレインブームだった40年以上前は東京~西鹿児島(現・鹿児島中央)間を日豊本線経由で24時間以上かけて走破した日本最長距離列車のイメージがありました。

走行距離はなんと1595.9km!丸1日以上かかったのですから、東京~西鹿児島間でブルートレインを利用する人は鹿児島本線経由の寝台特急「はやぶさ」がほとんどでした。

撮影当時は1997年11月に東京~大分間に短縮、食堂車も廃止されたので往年の輝きは失われてしまいました。牽引機のEF66が威風堂々としているのがせめてもの慰めでした。

晩年は「はやぶさ」と併結運転、2009年3月に廃止されたので、今となっては貴重なワンカットです。

急行「富士川」

今日は建国記念の日で祝日でした。日本では建国の日が定かではないので、建国神話を元に初代天皇の神武天皇が即位した日を建国の日としています。現在の天皇陛下は第126代です。神武天皇が即位されたのは紀元前660年1月1日で、現在の暦に換算すると2月11日となります。

 


※165系急行「富士川」/身延線西富士宮~沼久保間・1998年4月4日

特急「踊り子」撮影で静岡県へ行くため、休暇を取得する日がなかなか定まらずにいましたが、来週半ばに決まりそうです。

富士山バックに撮影したところはこれまでの写真を見ても、ほとんど静岡県でJR東海管内ばかりです。東海道本線、御殿場線、そしてもう1つは…身延線です。

身延線は急行「富士川」が373系置き換えで特急格上げされる前の1995年夏に行ったことがあります。夏だったので富士山は見えず、富士山バックに撮影できないまま特急格上げされました。

1998年4月、身延線全通70周年記念イベントの一環として、急行「富士川」がリバイバル運転され、奇跡的に撮影することができました。現役時代は静岡車が使用されていましたが、そのころには全廃していたので神領車が使用されていました。

撮影してからもうすぐ23年、165系は2003年にJR線から全廃しましたが、リバイバル運転で奇跡的に、貴重なワンカットとなったのはいうまでもないでしょう。

1月の富士山

今日は週1の出社日でした。来週以降の休暇取得予定日が未確定のため、会社での業務スケジュールにも若干影響が出ており、チームリーダーに対応策を相談したりもしました。天気予報以外にも場所や時間、気象条件などの要素が複雑に絡みあっているためです。

 


※20000形特急「あさぎり1号」(当時)/御殿場線足柄~御殿場間にて:2012年1月4日撮影

昨日掲載したJR371系の特急「あさぎり2号」と同じ日に撮影したものです。当時は1991年から2012年までは小田急とJRの相互直通運転で、沼津まで運転されていました。

この年の3月改正で小田急60000形に置き換えられ、運転区間も御殿場までに短縮、小田急からの片乗り入れに戻っています。1991年以前は3000形による片乗り入れでJR線内は急行、運転区間も御殿場まででした。

3000形は今では小田急の通勤車で300両を越える大所帯ですが、2代目で初代はロマンスカーでした。私鉄では9000まで形式番号がいっぱいになると、10000といった5桁になるか、1000や2000等の番号が廃車などで空いたのを再び利用するといった若返りがあります。

撮影当時、富士山の雪はまだ少なく、この年は厳冬だったことが伺えます。4月の磐越西線ではまだ雪が残っていました。

日本海側が雪でも太平洋側は乾燥した晴天続きで、南岸低気圧が通過しやすくなる2月以降に多くなるようです。富士山の積雪がピークになるのは3月頃です。

今年は年始の時点で雪が少なかったので、2月以降に多くなるタイミングを見計らって休暇を取得し、伊豆箱根鉄道へ特急「踊り子」を撮影することを考えていました。

いつ、休暇を取得して撮影に行くのか?日時決定はは来週頭になりそうです。

難しい判断

明日は週イチの出社日です。来週以降、休暇取得する予定ですが、現状ではいつにするのか、判断が難しい状況です。

 


※371系特急「あさぎり2号」(当時)/御殿場線御殿場~足柄館にて・2012年1月4日撮影

来る3月13日のダイヤ改正で特急「踊り子」がE257系に統一されるためです。中央線特急へのE353系投入と房総特急削減による余剰車の転用によるものです。国鉄時代から運用されてきた185系は車齢が40年近く経過し、老朽化が進んでいるために引退します。

休暇を取得し、静岡県の伊豆箱根鉄道へ富士山バックに撮影する予定ですが、天気予報から判断しなければなりません。

土日の場合は撮影者が多く、今のご時世ですから密は避けたいのです。

写真は9年前の2012年1月4日に撮影したものです。この年、371系と小田急20000形が特急「あさぎり」から引退するため、撮影者が多かったです。ただ、この撮影地はキャパが大きかったのが幸いでした。

もう1つ、判断を難しくしているのは、時間帯です。これまで急行「東海」やブルートレインを富士山バックに撮影した当時、時間帯は全て午前中でした。

伊豆箱根鉄道線の場合、正午以降から順光となり、撮影できるのは平日だと8号(後追い)、13・16号の3本に限られます。土休日は9・12号が加わります。

午後まで富士山が見えてくれるかどうか、伊豆半島からの気流で雲が流れて隠されてしまうことがあり、25年前の1996年がまさにそうでした。いつ休暇を取って撮影に行くかの判断は来週頭になりそうです。3月だと余裕はなくなりそうですし。

700系新幹線の思い出

一昨日のラストラン予定が新型コロナウイルス感染対策のために中止、1日が実質ラストランとなった東海道新幹線の700系。最後に東海道新幹線を利用したのは2009年11月だったので、10年以上乗っていないことになります。

1999年3月のデビュー時は「アヒル新幹線」等と話題になりました。JR東海とJR西日本が共同開発した新幹線電車で、300系と500系の合いの子ともいえます。最高時速は285km/hに抑えられていましたが、東海道・山陽新幹線では最も多く利用した車両でした。

2009年4月、下関でいわゆる合コン…オフ開催のために帰省した時の写真の一部ですが、紹介します。

 


2009年4月25日、1987年8月以来22年ぶりとなる下関帰省では「のぞみ」と「ひかり」で2種類の700系を乗り継ぎました。

2003年10月の品川駅開業で「のぞみ」が大増発され、電光掲示板には「のぞみ」ばかりが表示されています。その代わりに「ひかり」は半数以上が削減され、1時間2本となっていました。

それでも新大阪発着が半数以上ですけどねf(^_^; それだけ東京と大阪の往来がかなり多い証拠ですが、輸送力がひっ迫しているので、北陸新幹線や中央新幹線によるバイパスも必要な状況には変わらないですが。

 


東京駅8時23分発の「のぞみ211号」でまずは新大阪まで行きました。広島または博多発着の長距離列車だと混雑が激しいので、あえて新大阪行の東海道新幹線内列車を選びました。

乗車したのはC3編成でJR東海車です。1999年2月に製造された1次車で2013年2月に廃車となりました。運用期間は14年でしたが、新幹線車両は高速運転だけでなく、金属疲労も早いので平均寿命が15年程度なのです。東海道・山陽新幹線だと、東京~博多間を片道1000km以上往復しているのですから、13年程度と短いです。

博多まで往復した翌日は東海道新幹線内完結列車に充当したりと、運用の工夫等で関係者の苦労は絶えなかったことでしょう。このことは北海道新幹線が札幌まで延伸する2030年以降、東北・北海道系統でも起こりうると思われます。

逆に東日本の新幹線車両はと、2002年12月に東北新幹線が八戸延伸するまで長くても東京~盛岡間(ミニ新幹線となる山形・秋田は含まない)で500kmぐらいでしたから走行距離も短く、車両寿命が長かったのです。

この当時、製造後10年経過していましたが、それから4年後に廃車されるとは思ってもいませんでした。

 


2時間半程度で新大阪に到着、「ひかり559号」に乗り継ぎました。新下関に停車する「ひかり」は1日4往復程度だったので、停車する列車に合わせて選んだのです。

「のぞみ」で広島まで行き、「こだま」に乗り換えてもよかったのですが、2009年当時は山陽新幹線内でまだ100系が走っており、最高時速は220km/h。当時「のぞみ」で走っていた500系と最新鋭のN700系は300km/hで、当然ながら速度差は80km/hも大きく開いています。
「こだま」に乗ると、ほとんどの駅で「のぞみ」「ひかり」の退避を強いられて時間がかかりすぎます。

あえて新下関停車の「ひかり」を選んだのは、普通車指定席が2-2列でグリーン車並みに快適という点もあります。

広島までは「ひかり」の標準的な停車駅で、広島~小倉間で停車駅パターンを変えているのも見逃せません。大半が新山口に停車しますが、徳山のみ停車、徳山・新山口連続停車、新下関停車のパターンが少数ながらありました。

JR東海車と塗装は異なりますが、同じ700系です。JR東海は「のぞみ」に優先投入、JR西日本は山陽新幹線内の「ひかり」に投入してテコ入れを図るという考えでした。後に、JR西日本も東京直通用に100系「グランドひかり」の代替でB編成を投入しました。

結果的に5時間程度で新下関に到着、到着後は迎えに来てもらいました。かつて0系で京都以西各駅停車の通称”ひだま”で7時間かかったことを考えると、2時間近くのスピードアップは大きく、隔世の感がありました。

この時乗車したのはE6編成、2000年4月製造でまもなく20年になります。新幹線車両の平均寿命である15年を越えてまだ現役なのは、山陽新幹線内だけの運用で、走行距離が片道最長で560km程度と短く、九州新幹線全通後は「こだま」中心に運用されています。現在は「こだま」がほとんどなので、車両寿命が延びる要因になったのは皮肉なものです。

東海道新幹線から引退しても、山陽新幹線ではもう暫く走り続けるでしょうし、N700系や九州新幹線800系にも血脈は受け継がれていくのです。まだ話足らないところもあると思いますが、また別の機会に。

全廃から10年、九州ブルトレメモリアル(1)

今日で九州ブルトレが全廃されて10年になります。10年ひと昔といいますが、最後まで残った寝台特急「富士・はやぶさ」が終着駅に到着した時点で九州ブルトレの歴史に幕が下りました。

2000~2004年までは九州へも出向いて撮影もしていますが、フィルム時代で点数も多いので、まずは末期の本州内からメモリアルとして紹介します。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線三島~函南間:2008年3月22日撮影

富士山バックに東京へ向かう寝台特急「富士・はやぶさ」です。単独運転時代から「富士」と富士山のごろ合わせで撮影してきましたが、廃止が1年後に決まりファンが殺到してまともに撮れなくなる前に撮っておこう…と訪れました。廃止まであと1年だというのに、すでに数人のファンが訪れていました。

富士山バックでは最後のワンカットになりました。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線藤沢~大船間にて:2008年3月23日撮影

藤沢駅から東京方へ1kmほど先にある踏切跡から撮影しました。急行「東海」⇒特急「東海」撮影で何度も訪れた撮影地です。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線平塚~茅ヶ崎間:2009年1月12日撮影

茅ヶ崎駅から平塚方へ1.5kmほど行った先の踏切から撮影しました。廃止まであと2か月余りとなりましたが、撮影者は私の他に1人しかおらず、静かに撮影ができました。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線沼津~三嶋間:2009年3月7日撮影

天気予報を信じて富士山バックを狙おうと試みましたが、生憎雲が多く富士山が隠れてしまいました。独立峰の撮影の難しさを思い知らされたカットとなりました。雲1つなくすっきり晴れていれば、富士山が綺麗に収まったことでしょう。

 


※寝台特急「富士・はやぶさ」/東海道本線川崎~鎌田間:2009年3月14日撮影

遂に迎えた最終日、この日は廃止を惜しむのかのように朝から雨が降っていました。しかし、途中の大雨規制で1時間半も遅れ、最後のワンカットとなりました。

 

九州ブルートレインは青函トンネルが開通して「北斗星」がデビューするまで、憧れのブルートレインでした。ブルトレブームの頃、寝台特急「富士」が日豊本線経由で東京~西鹿児島間を24時間以上かけて走破した日本最長距離列車だったことも一因でした。

寝台特急「北斗星」は豪華路線を取っていたので、憧れの的はそちらに移ってしまいましたが、九州ブルートレインには長い伝統があり、根強いファンがいたのも確かです。

結果的には先細り傾向をたどってしまいましたが、最後までその雄姿を収められたのも、子供の頃の憧れは失っていなかったといえるでしょう。

「はやぶさ」は東北・北海道新幹線へ、「さくら」「みずほ」は山陽・九州新幹線へ、それぞれ新幹線へ愛称が受け継がれましたが、寝台特急時代があったことを忘れてはなりません。それが、ブルトレブームを経験したファンの使命でもあります。

2016年山北桜

今日は今朝早く、山北へ桜の撮影に行ってきました。山北は2012年以来4年ぶりですが、ここ数年は花曇りだったり、他方面も重なって撮影の機会に恵まれませんでした。

 


※60000形特急「あさぎり2号」/御殿場線谷峨~山北間にて

「あさぎり1号」に間に合うべく現地に着いたのですが、肝心の通過予定時刻を忘れ、撮り逃すという失態を犯しました…_| ̄|o

2号まで待ち、撮影しました。8年前もほぼ同じ構図で撮りましたが、枝が伸びた様に感じます。

 


※313系普通列車国府津行き2536M/御殿場線山北駅にて

帰りの電車の駅進入をホーム端から撮影しました。かつて東海道本線の一部だった名残りで無駄に構内が広く、ホームも長いので、撮った後は100メートル程ホームを走る羽目になりました。

何とか間に合いましたが。山間で平野部より見頃が遅かったのが幸いでしょうか。これから桜はヤマザクラ、八重桜へと移ってゆきます。

8年前の山北桜

今日は朝から雨が降り、満開から数日経った桜は花が散りました。明後日の土曜日は山北へ行く予定ですが、町のHPによるとまだ持っているみたいです。

8年前の2008年に撮影した山北での「あさぎり」の写真を紹介します。

 


※20000形特急「あさぎり4号」/御殿場線山北にて・2008年4月6日撮影

 


※371系特急「あさぎり3号」/御殿場線山北にて・2008年4月6日撮影

2枚とも同じ日に同じ場所で撮影しています。この日はまず御殿場で富士山バックに1・2号を撮影した後、山北へ移動して撮影するいうハードスケジュールをこなしていました。

土曜日は晴れる予報ですが、ウェザーニュースでは雲が多い予報です。新聞や他メディアと予報が異なるのも気かがりです。